吉備真備は直接史料のない人物2020年07月31日

『吉備真備』(宮田俊彦/人物叢書/吉川弘文館)
 ‫いま、吉備真備が小さなマイブームなのだが、歴史概説書、小説、テレビドラマ、漫画では吉備真備の全体像を把めた気がしない。で、次の本を読んだ

 『吉備真備』(宮田俊彦/人物叢書/吉川弘文館)

 日本歴史学会編集の「人物叢書」の1冊である。新本で入手したが、1961年刊行のかなり古い本の新装版で、研究者の専門的著作に近い。

 本書の「はしがき」で著者は次のように述べている。

 「吉備真備については、不思議なことに直接史料が殆どない。(…)高名天下に轟く真備であるにも拘わらず、この人に関する研究が余りない。単行本も研究論文も、その数が多くない理由であろう。」

 そんな事情だと初めて知った。ネット検索しても一般向けの手頃な本が見つからなかったわけだ。本書は、数少ない間接史料を紹介しながら、先行研究者の説を検討しつつ著者の見解を述べている。史料が少ないせいで、吉備真備の生涯をたどる評伝とは言い難い。真備に関連する史料を収集整理した生涯の点描に近い。

 本書は以下の5つの章で構成されている。

  第1 真備の出自
  第2 虚往盈帰
  第3 広嗣の乱
  第4 再度の入唐
  第5 大宰府の真備
  第6 右大臣吉備真備

 第6の分量が全体の4割に近いのは史料の多寡の反映だろう。第2の「虚往盈帰(きょおうえいき)」は難しい言葉だ。広辞苑にはないし、ググっても出てこない。この章は留学生として唐に渡った真備を扱っていて、「入唐する前はカラッポで、唐に行ってよく学んで頭一杯学問を充実させて帰って来た」ということを表す言葉が虚往盈帰なのである。

 本書に引用されている史料の文章は私には難しく、十分に理解できたわけではないが、著者が描く真備像はなんとなく把めた。著者は本書の末尾で真備の生涯を5期にわけて整理している。略述すれば以下のようになる。

 第1期 誕生(695年)~22歳
  下級武官の子に生まれる。成績優秀で入唐を命ぜられる。
 第2期 23歳~41歳 留学期間
  学習は多方面に及び、帰国に際して多くの漢籍を持ち帰る。
 第3期 41歳~55歳
  官位の昇進、目覚ましい限り。
 第4期 56歳~70歳
  大宰府に左遷。57歳で遣唐副使として再び入唐、60歳で帰国。
  平城京に戻るも、すぐに大宰府。主に軍事方面に才能を発揮。
 第5期 70歳~81歳で死去(775年)
  造東大寺長官として帰京。恵美押勝の乱で軍学用兵の妙を発揮。
  参議を経て右大臣(72歳)。77歳で辞め、81歳で死去。

 真備が留学を終えて帰国してから逝去までの40年は、権力者の浮沈がくり返される激動の時代だった。権勢にあった藤原家の四子が天然痘で死去、代って橘諸兄が勢力を伸ばし、藤原広嗣が乱を起こすも敗死、やがて藤原仲麻呂が台頭し橘諸兄は力を失い、諸兄の子・奈良麻呂が仲麻呂を除こうとするも失敗、その仲麻呂(恵美押勝)も道鏡の台頭で力を失い、乱を起こして敗死、だが道鏡も没落する。そんな転変の40年間、真備は権力の中枢に近い場所で無事に生き延び、天寿をまっとうしたのである。

 真備は儒学者だが、主に軍学の才で評価されたようだ。その軍学の内容は、私にはよくわからない。詩歌の才はなかったらしい。この時代の史料として、要人が万葉集や懐風録に残した詩歌が引用されることが多い。だが、万葉集にも懐風録にも真備の作品はない。

 著者は真備の人物像を次のように推測している。

 「真面目な、文字通り穏健な人であった(…)政治家としては極めて地味であって、華々しい活動をしない。(…)功績がない、というのでは断じてなく、改革や変動には不向きな人であった(…)詩文の方にではなく、いわば実学の方に力を注いだと思われる。(…)生涯を通じての謙遜な努力家であった」

 こんな地味そうな人物は歴史小説の主人公には不向きに思える。テレビドラマ『大仏開眼』が吉備真備を主人公にしたのは、なかなかのチャレンジだったと思う。

吉備真備に関する昨年末のビッグニュース2020年07月29日

 吉備真備に関して、昨年(2019年)12月に新発見の新聞報道があったと人から聞いた。図書館に行き、新聞縮刷版の該当記事をコピーした。2019年12月26日の朝日新聞朝刊の記事で、見出しに「吉備真備の書か 中国に墓誌」とある。

 奈良時代に遣唐使船で留学生として唐に渡った吉備真備が、唐で書いた墓誌が発見されたという記事である。唐の中級官僚の墓誌で、文章を考案したのは中国人で、筆をとったのは吉備真備らしい。末尾に「日本国朝臣備書」とあるそうだ。734年の墓誌なので、留学生・真備39歳の時の書である。

 吉備真備は歴史上の人物としてそこそこの知名度はあると思うが、彼が書いた文書は一つも残っていないそうだ。だから、この1285年前の墓誌が真備の書とすれば、初めて真備の書いたモノが確認されたことになる。確かにビッグニュースである。

 この記事には、吉備真備の簡単な紹介がある。その一部は以下の通りだ。

 「(吉備真備は)下級役人の家に生まれ、のちに唐で官僚になった阿部仲麻呂らと一緒に717年に留学生として唐に渡った。帰国後は政権内で活躍したが、左遷され、遣唐副使に任命され、再び唐に渡った。帰国後に政権中枢の右大臣まで出世し、81歳で死去した。」

 1回目の入唐は22歳、18年間の留学生暮らし、40歳で帰国して異例の出世を遂げるも左遷され、2回目の入唐は58歳から60歳、帰国後も大宰府勤めだったが、70歳で都に復帰して出世、そして81歳で没する。生還率6割の遣唐使船で2回生還、上昇下降また上昇――なかなかの人生である。

吉備真備はネズミ男だった2020年07月27日

『火の鳥:鳳凰編』(手塚治虫/COM名作コミックス/虫プロ商事)
 テレビドラマ『大仏開眼』をオンデマンドで観て、吉備真備が気がかりな人物になったとき、遠い昔に吉備真備が登場するマンガを読んだ記憶が甦ってきた。手塚治虫の『火の鳥』である。本棚の奥を探索し、それが『鳳凰編』だと判明した。1970年12月刊行のB5判コミッックである。半世紀ぶりに再読した。

 『火の鳥:鳳凰編』(手塚治虫/COM名作コミックス/虫プロ商事)

 大仏建立の天平時代の仏師の物語で、橘諸兄、吉備真備、良弁などの実在の人物も登場する。久々に手塚マンガを再読し、巨匠に対しては失礼な言い方になるが、やはり巧いなと感心した。

 手塚マンガは構成やストーリーがキッチリしていても、本筋とは無関係にヒョウタンツギやベレー帽の作者などが出現するアソビが挿入されるのが楽しい。1970年刊行のこの漫画にも大阪万博やサイケデリックを反映したコマがある。時代を感じさせるそんなシーンも、いま見れば貴重に思える。

 このマンガに登場する吉備真備は偉ぶった高級官僚の爺さんで、時の権力者・橘諸兄に対抗する人物で、終盤には左遷させられる。橘諸兄は真備を「なり上がりのくせに唐にいったのをハナにかけて出しゃばるからだ」などと詰る。唐から帰国した吉備真備は橘諸兄に重用されたというイメージがあるので、手塚治虫の真備像はやや意外である。

 私が面白く思ったのは、真備をネズミ男として描いているコマがあることだ。アソビのギャグ・コマだが、1970年の時点で手塚治虫が水木しげるのキャラクターを借用しているのに驚いた。かなり意識していたのだろうか。『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(文藝春秋)という座談会本で手塚治虫の娘が「親子二代にわたる水木漫画への嫉妬心ですよー」と語っているのを思い出した。

 ギャグとは言え、吉備真備をネズミ男に見立てるのは秀逸で辛辣である。海外帰りの知識を武器に権力に取り入って出世し、左遷の憂き目にあってもしぶとく復活するというイメージに重なって面白い。さすが、手塚治虫である。

井上靖の『天平の甍』を初読2020年07月26日

『天平の甍』(井上靖/新潮文庫)
 天平時代や遣唐使への関心が高まり、テレビドラマ『大仏開眼』をオンデマンドで観ていて、ふと気づいた。井上靖の高名な『天平の甍』を未読だと。

 井上靖の小説は、中学時代に『あすなろ物語』で甘酸っぱく感動し、高校時代には古典の教師に『異域の人』を勧められて読み、同時に『蒼き狼』も読んだ。その頃、『天平の甍』も読まねばと思ったが、未読のまま時は流れ、いつしか井上靖は私の関心外の作家になった。

 久々に『天平の甍』を思い出し、駅前の書店へ行くと、この小説は文庫本の棚に健在だった。さっそく購入して読んだ。

 『天平の甍』(井上靖/新潮文庫)

 鑑真(本書では「鑒真」と表記)を招聘した遣唐使の僧たちの苦闘物語である。頭が天平モードなので面白く読了できた。読んだばかりの『遣唐使』(東野治之/岩波新書)とは、些細な史実の食い違いがある。この小説の刊行は1957年(私は小学3年だ)だから、その後、歴史研究が進展したのかもしれない。単なる解釈の違いとも考えられる。小説だから、どうでもいいのだが……。

 この小説は、大雑把い言えば、天平5年(733年)の遣唐使として唐に渡った僧・普照が、天平勝宝4年(752年)の遣唐使の帰国船で鑑真を連れて帰国するまでの約20年間の物語である。遣唐使は十数年ごとにしか派遣されないので、天平5年(733年)の次が天平勝宝4年(752年)である。

 遣唐使で派遣された人々の生還率は6割ぐらいだそうだ。遭難が多かったからである。滞在十数年になる留学生や留学僧には客死する人や帰国を断念する者も少なくなかった。

 この小説は、天平5年(733年)の遣唐使船に乗った4人の留学僧を巡る話で、次の遣唐使船で帰国できたのは一人(普照)だけである。留学僧たちの要請に応えて訪日を決断した鑑真は次の遣唐使を待っていたのではない。自ら手配した船で何度かの渡海を試みるがすべて失敗し、最終的には次回の遣唐使船で訪日を果たすのである。

 私が興味深く思ったのは、天平5年(733年)と天平勝宝4年(752年)の遣唐使の両方に吉備真備が関わっている点である。養老元年(717年)の遣唐使船で唐に渡った吉備真備や玄昉は、16年間の留学生活を終えて天平5年(733年)の遣唐使船で帰国する。普照たちとはすれ違いである。入国した普照は帰国する真備に会う。その場面描写は以下の通りだ。

 「普照には、真備は背の低い、穏やかな風貌を持った平凡な人物に見えた。」

 19年後、吉備真備は遣唐使副使として再び入唐する。橘諸兄のブレーンとして栄達したものの、台頭した藤原仲麻呂に疎んじられ、都から遠ざけられたのである。

 普照は19年ぶりに真備に再開するが、真備は普照を憶えていない。この場面の描写は以下の通り。

 「どこか傲岸なとことのある自尊心の強そうな気難しい老人でしかなかった。」

 普照が、高僧鑑真とともに何度も渡海を試みるも失敗した苦労話をしても、真備はまったく感動せず、嘲笑を込めて次のように語る。

 「渡れるように準備してかかれば、自然に船は海を渡るだろう。月、星、風、波、あらゆるものの力を、船が日本へ向かうように働かせなけらばならぬ。若し反対の働き方をさせていれば、いつまで経っても、船は日本へは近寄らぬだろう。」

 井上靖の描いた吉備真備はインテリ風を吹かせるイヤな奴である。

NHKドラマ『大仏開眼』をオンデマンドで観た2020年07月24日

松本清張の『眩人』を読んだのを機に天平時代や遣唐使への興味がわき、次のテレビドラマをオンデマンドで観た。

 『大仏開眼』(作:池端俊策)

 10年前にNHKで放映されたドラマで、前編・後編合わせて3時間だった。吉備真備を主人公にした話で、主な出演者は以下の通りだ。

 下道真備→吉備真備:吉岡秀隆
 阿倍内親王→孝謙天皇:石原さとみ
 藤原仲麻呂:高橋克典
 玄昉:市川亀治郎(現在の猿之助)
 葛城王→橘諸兄:草刈正雄
 聖武天皇:國村隼
 光明皇后:浅野温子
 行基:笈田ヨシ

 活字で名前のみ認識している歴史上の人物が、俳優の演じる映像で目の前に現れるのは、かなり楽しい体験である。おぼろだった人物像が映像によって鮮明になったりもする。もちろん、自分のイメージとは違うと感じることもある。このドラマでは、ヒーローとヒロインの下道真備と阿倍内親王は「違うな」と感じた。ヒーロー・ヒロインは美化しなければならないので仕方ないとも思う。藤原仲麻呂、聖武天皇、光明皇后などは「なるほど」というイメージで、玄昉はピッタリだと思った。

 このドラマで私が惹かれたのは、朱雀門などの平城京や造営中の大仏、大仏開眼会などを迫力あるリアルな映像で表現している点である。貴族たちの衣装や館、疲弊した庶民のさまも絵になっている。タイムマシンで平城京を訪問した気分になり、それだけで十分に満足した。このドラマの時代考証は、岩波新書『遣唐使』の著者・東野治之氏である。

 ドラマは吉備真備と玄昉が唐から帰国する場面から始まり、仲麻呂の乱で終わる。史実をベースにしているとは言え「吉備真備 vs 藤原仲麻呂」という構成に単純化したドラマに仕立てている。ヒーロー・ヒロインを際立たせるためか、道鏡は登場しない。

 3時間のドラマとしては、かなりの事項を盛り込んでいて、省略は仕方ないにしても、これでいいかと思う。ただ、このドラマで美化されている吉備真備像がどこまで史実を反映しているか、少し気になった。フィクションと割り切ればいいのだが、吉備真備が気がかりな人物になってしまった。

『物語イタリアの歴史』の藤沢道郎氏のグラムシ入門書を読んだ2020年02月15日

『アントニオ・グラムシ:イタリア共産党の思想的源流』(藤沢道郎/すくらむ社/1979.5)
 中公新書の『物語イタリアの歴史』『物語イタリアの歴史Ⅱ』が思いのほか面白く、著者・藤沢道郎氏の略歴を調べ、若い頃はグラムシを研究していたと知った。

 グラムシは懐かしい名前だ。と言っても名前を知っているだけで、その内実はほとんど知らない。『物語イタリアの歴史』を読んだ縁で、この本の著者の手によるグラムシ入門書を読んでみたくなり、ネット古書店で次の本を入手した。

 『アントニオ・グラムシ:イタリア共産党の思想的源流』(藤沢道郎/すくらむ社/1979.5)

 読みやすい平易な本だった。「すくらむ社」とは聞いたことのない出版社である。本書のあとがきによれば「若い労働者向けの月刊誌『すくらむ』」に連載した記事をまとめたものだそうだ。ネットで検索してもこの雑誌や出版社に関する情報はない。すでに存在しない雑誌、出版社だと思われる。

 グラムシという名を目にしたのは大学入学(1968年)直後だった。部室の窓に「グラムシ研究会」と大書したサークルがあった。何を研究するサークルなのか意味不明だったが、やがてグラムシは虫ではなく人名で、そのサークルはフロント派の拠点だとわかった。

 フロントは構造改革派の一派で、緑のヘルメットにキリル文字の「Ф」が印象的だった。私の大学では全共闘を主導するセクトの一つで、それなりの存在感があった。

 ちなみに、民主党政権時の官房長官・仙谷由人、経済産業大臣・海江田万里や『噂の真相』の編集長・発行人・岡留安則などは元フロントらしい。

 閑話休題。本書が出版されたのは1979年で、1960年代末の全共闘などの熱い時代からは約10年が経過している。当時の時代状況をはっきりとは思い出せないが、団塊世代より下の白け世代が社会人になり始めた頃だろう。いまはなきイタリア共産党やソ連が存在していた時代である。

 本書刊行の1979年時点で著者の藤沢道郎氏は46歳(2001年、68歳で逝去)、それまでにグラムシに関する研究書や訳書を多く手掛けている。本書が1979年当時にどう受け取られたかは不明である。

 本書はグラムシの生涯と思想を簡略に紹介している。著者も述べているように、本書でグラムシの思想をつかめるわけではない。それでも、半世紀以上も私の頭の中で名前だけだった存在が具体的な人物像として紡ぎ出され、少しすっきりした。全共闘の時代に彼に一定の人気があった理由も多少はわかった。

 本書を読もうと思った動機のひとつに、先月、ムッソリーニやダンヌンツイオに関する本を何冊か読み、このままでは片手落ちの気分になったこともある。バランスを取るにはグラムシがちょうどいいと思えた。

 本書を読んで、第一次大戦から第二次大戦に至るイタリア現代史の様相への理解が少し深まった。著者は次のように述べている。

 「1920年代の前半と言えば、全ヨーロッパで広くファシズムの革命性が信じられていた時期です。行きづまった資本主義体制を根本的に変えていくとすれば、レーニンの示す道を進むか、それともムッソリーニの示す道を行くか、どちらかであると、多くのまじめな青年が信じていたのです。」

 自分の目の前で起きている事象を歴史の目でとらえるのは容易ではない。本書を読みながら、そんなことをつくづく考えた。

昭和3年刊行の『ムッソリニ傳』を読む2020年01月25日

『ムッソリニ傳』(澤田謙/大日本雄辯會講談社)
 ダンヌンツィオやムッソリーニの伝記を読み、書架の奥に戦前に出版されたムッソリーニ伝があったことを思い出した。

 『ムッソリニ傳』(澤田謙/大日本雄辯會講談社/昭和3年1月15日発行)

 この本は中学生の頃(1960年代初頭)に祖父の家の本棚から拝借したものである。そのときにパラパラと拾い読みしただけで通読していない。ヴルピッタの『ムッソリーニ』(ちくま学芸文庫)を読んだのを機に、この戦前の本も読んでみた。

 澤田謙という人は戦前から戦後にかけて多くの伝記を書いた作家で、私はこの人が昭和9年に出した『ヒットラー傳』を5年前に読んだ。そのとき、感想をブログに書いた。

 『ムッソリニ傳』の刊行は『ヒットラー傳』の6年前の1928年(昭和3年)で、ムッソリーニは首相になって6年目の44歳だった。本書にヒトラーは登場しない。当時ヒトラーは39歳、ナチスはまだ低迷期だった。ナチスの党勢が上向くのは本書刊行の翌年の1929年からである。

 ヴルピッタの『ムッソリーニ』によれば、昭和初期の日本でムッソリーニは「忠君愛国」の首相として大きな人気があり、彼に関する本が多数刊行されたそうだ。歌舞伎『ムッソリニ』が人気役者・二代目市川左團次によって上演されたのも『ムッソリニ傳』刊行と同じ年である。

 『ムッソリニ傳』は講談調の立志伝、痛快な勧善懲悪の英雄譚である。悪玉は優柔不断で怯懦な既成政党や共産党、善玉はムッソリーニ率いるファシストである。国民は暴戻の共産党を懲らしめてくれたムッソリーニを歓呼と感謝で迎える……大雑把にいえばそんなストーリーになっている。

 歴史書などではさほど存在感のない当時のイタリア国王を賢王として目いっぱい持ち上げているのは、天皇を神格化した当時の日本の状況を反映しているのだろうか。

 当初、ムッソリーニは社会党の活動家で、機関紙の編集長も務めている。彼の父親も社会党の活動家だった。社会党はもちろん左翼であり、そのメンバーの一部が後にイタリア共産党を創設する。

 『ムッソリニ傳』は、そんなムッソリーニの出自をどう描いているのか。父親については「日本でも地方の田舎にはよくある無学な政治狂い」としてかたづけている。

 ムッソリーニ自身を政治狂いにするわけにはいかないので、ムッソリーニが活躍していた頃の社会党には正義があったが、その後堕落して人心が離れたとしている。さすが、伝記作家だと感心した。

 この伝記の基調はムッソリーニのファシズム称揚である。ファシズムに対して「自由を否定」「暴力的」「哲学がない」などの批判があるとしたうえで、そんな見解への反論を展開している。

 本書の序では、作者自身の見解として「ファッシズムに至つては、或る點に熱烈なる共鳴を覺ゆると共に、或る點については極端なる反意を表さねばならぬ。」と述べている。その反意の内容には触れていない。昭和初期日本におけるファシズム観の雰囲気が垣間見える。

 本書にはダンヌンツィオ(本文表記はダヌンチオ)に言及した箇所もいくつかあるが、さほど詳しくはない。それはダンヌンツィオの活躍を読者衆知のこととしているからである。当時のダンヌンツィオはそんな大きな存在だったようだ。

 本書の扉にはムッソリーニの肖像写真をはじめ5葉の写真を掲載している。その1枚がガルダ湖畔のムッソリーニとダンヌンツィオのツー・ショットである。本文にこの場面への言及はない。

イタリア人が日本人向けに書いたムッソリーニ伝2020年01月21日

『ムッソリーニ:一イタリア人の物語』(ロマノ・ヴルピッタ/ちくま学芸文庫)
 『ダンヌンツィオ 誘惑のファシスト』を読み、この伝記の後半に登場するムッソリーニについてもう少し知りたくなった。

 私のムッソリーニに関する知識は、ヒトラーやナチス関連の書籍から得た断片的なものに過ぎない。その大雑把なイメージは「ヒトラーの頼りにならない盟友、第二次大戦の脇役」である。

 ムッソリーニといえば、ミラノの広場で遺体が愛人とともに逆さ吊りにされた写真が衝撃的である。極悪非道な独裁者の哀れな末路という印象を強くするが、考えてみれば、そこに至るてんまつをよく知らない。

 ムッソリーニについて一冊にまとまったコンパクトな新書本でもないかと検索したが手頃な本がない。結局、次の本を入手して読んだ。

 『ムッソリーニ:一イタリア人の物語』(ロマノ・ヴルピッタ/ちくま学芸文庫)

 この本は拾い物だった。断片的だったムッソリーニの意外な輪郭が見えてきた気がする。

 2000年に中公叢書として刊行されたものの文庫版で、著者は1939年生まれのイタリア人、元外交官でEUの駐日代表部次席代表も勤め、大学教授に転身している。本書は翻訳書ではなく達意の日本語で書かれた和書である。著者は京都産業大学で「ヨーロッパ企業論」「日欧比較文化論」などを教えていていたそうだ。

 歴史家でない著者が本書を執筆した動機は、ムッソリーニに無関心で彼を二流の人物と見なしている日本人に対して「ムッソリーニ評価の現状」を啓蒙することにあるようだ。なんだか、私向けに書かれた本のように思えた。

 本書を読んで、イタリアにおけるムッソリーニ評価はドイツにおけるヒトラー評価とはかなり違うと知った。イタリアでは、いまでも一般大衆のムッソリーニへの興味は強く、マスメディアは絶えず彼を話題にしているそうだ。彼を非難・憎悪する見解が多いのは確かだが、一般民衆の間での彼への反感はさほどでもないそうだ。

 この伝記を読了して、一定のムッソリーニ人気が持続している理由が少しわかった。単純には断罪しがたい「わかりにくさ」がある陰影に富んだ人物である。彼の運動を、第一次世界大戦の「塹壕の世代」による世代交代運動だという見方に納得した。世代の言葉を語れるリーダーは強い。

 ムッソリーニといえば右翼ファシストというイメージだが、彼の出自は左翼の社会主義運動であり、サンディカリズムに共感していたようだ。ムッソリーニは自分が左から右に転向したと考えていたわけではない。自身の青年時代からの思想と信念を追究し貫いた生涯だったのである。このわかりにくさは、イタリアという国の政治状況・思想状況の混迷の反映に思える。

 本書の序章の末尾には次のような付記がある。

 「日本で「ファッショ」は負の意味での政治用語になっているので、文中ムッソリーニが起こした政治運動を指すのにはイタリア語により近い「ファショ」を使用した。」

 これを読んで、西部邁が自殺の半年前に刊行した『ファシスタたらんとした者』を想起した。ムッソリーニの「ファショ」や西部邁の「ファシスタ」を十全に理解できたわけではないが、「全体主義」として思考停止的に切り捨てることのできないものが潜んでいそうだ。

 本書には日本に関する話題も多い。昭和初期には歌舞伎『ムッソリーニ』が上演され「ムッソリーニ首相の一睨みは千両」と評価されたそうだ。日本参戦に関するヒトラーとムッソリーニの評価の違い(ムッソリーニは思想的に歓迎)の分析も面白い。福田和也、三島由紀夫、保田與重郎を援用した論述もある。

 私たち団塊世代が学生時代に一定の人気があったグラムシ(イタリア共産党創設者の一人)への言及も興味深い。グラムシの日本での人気がムッソリーニの低評価につながっているとし、「ムッソリーニのグラムシ虐待はデマだ」とムッソリーニを擁護しているのは少々微笑ましい。

 驚いたのは、ダンヌンツィオのフィウメ占領に参加した日本人がいたという話である。それは上田敏の弟子にあたる下位春吉という詩人で、ダンヌンツィオの密使としてムッソリーニに書簡を届けたそうだ。

 本書はムッソリーニ殺害の状況も詳しく分析している。謎が多くていまだに事実関係はよくわからないとし、次のように述べている。

 「1945年から今日まで、ムッソリーニの死の謎に関しては多くの推測がなされてきたが、真面目な研究も何の結論にも至っていない。」

 「ムッソリーニはイタリア国民により裁かれるどころか、彼は裁かれないように殺害されたというのが事実である。」

 また、ミラノの広場に遺体が吊るされた衝撃的な光景については次のように述べている。

 「このような事件が二十世紀に起こり得るとは夢にも思えなかったイタリアの人々は衝撃を受け、国民としての恥を感じた。」

澁澤龍彦のツッコミが面白い『私のプリニウス』2020年01月18日

『私のプリニウス』(澁澤龍彦/河出文庫)
 雑誌連載中のヤマザキマリ、とり・みき合作漫画『プリニウス』は単行本が出るたびに購入して読んでいる。だが、プリニウスが著した膨大な『博物誌』を読む根性はない。で、手軽そうな澁澤龍彦の『私のプリニウス』を読んだ。

 『私のプリニウス』(澁澤龍彦/河出文庫)

 『博物誌』の記述をランダムに紹介し、それに著者がコメントを付したもので、とても面白い。『博物誌』を拾い読みした気分になり、澁澤龍彦の目を通して『博物誌』の破天荒な面白さが伝わってくる。

 ヴェスヴィオ火山噴火で亡くなったプリニウスは甥のプリニウス(政治家)と区別するために大プリニウスと呼ばれるが、まさに「大」を付すにふさわしい該博でおおらかな大人物に思えてくる。

 澁澤龍彦のツッコミの一部を引用すれば以下の通りである。

 「なんとまあ、見てきたような嘘を書くものだろうかと、私たちはつくづくあきれてしまう。けつを捲っているのか、とぼけているのか、それとも本気で信じているのか、だれにも分からない。なんという無責任! すでにこれは文学である。」

  「必ずしも神秘な現象を信じる神秘主義者ではないが、何によらず神秘なことが大好きという、二十世紀の私たちの神秘好きの心理に、案外、プリニウスは近かったのかもしれない。」

  「このプリニウスの世界は、すでに『不思議の国のアリス』の世界に限りなく近づいているといってもよいかもしれない。」

  「プリニウスの基調はペシミズムである。こんなに好奇心旺盛な、こんなに逸話好きな、こんなに勤勉な文筆家が、どうしてペシミスティックな思想の持主だったのかと、ふしぎな気がするくらいである。」

  「こんなふうに死の兆候やら死の例をずらずら書きならべはじめると、とたんにプリヌウスはペシミズムなんか吹っとばして、またもや書くことに熱中するようになる。(…)よくもまあ、ずらずらと書きならべたものである。こういうところにこそ、プリニウスの本領が遺憾なく発揮されていると考えるべきだろう。もはやここにはペシミズムの基調は消えてしまっている。すでに作者は死の蒐集家になってしまっているからだ。」

 ツッコミの数々から、澁澤龍彦がプリニウスに魅せられていたことがよくわかる。

ダンヌンツィオの伝記を読んで頭がクラクラ2020年01月16日

『ダンヌンツィオ 誘惑のファシスト』(ルーシ・ヒューズ=ハレット/柴野均訳/白水社)
◎三島由紀夫が夢中になったダンヌツィオ

 分厚いダンヌツィオの伝記を読み、頭がクラクラした。常軌を逸した生涯に圧倒されたのである。

 『ダンヌンツィオ 誘惑のファシスト』(ルーシ・ヒューズ=ハレット/柴野均訳/白水社)

 ダンヌンツィオは1863年生まれの詩人・作家である。日本人だと徳富蘇峰と同い年、森鴎外より一つ年下、二葉亭四迷より一つ年上という世代で、第二次大戦開戦前年の1938年に74歳で亡くなっている。現在では忘れられた作家に近い。戦前はよく読まれていたらしい。

 私がダンヌツィオという名を知ったのは約30年前、筒井康隆氏の三島由紀夫論『ダンヌンツイオに夢中』読んだときである。「三島由紀夫はダンヌンツイオになりたかったのだ」と面白く論述した評論で、これによってダンヌンツィオというスゴイ人物を知った。

 その後、上田敏の『海潮音』の冒頭の詩がダンヌンツィオだと人から聞いた。『海潮音』は中学・高校時代に目を通したが「山のあなたに…」「秋の日のヴィオロンの…」「時は春、日は朝…」以外は失念している。確認してみると、この高名な訳詩集の冒頭2編と末尾2編はダンヌンツィオの詩だった。格別の扱いである。

◎破天荒な生涯

 私が接したダンヌツィオ作品は『海潮音』の詩だけで、小説や戯曲は読んでいない。にもかかわらず『ダンヌンツィオ 誘惑のファシスト』を読もうと思ったのは、この人物に文学者を超えた妖しさを予感したからである。

 本書を読了し、予感を超えた破天荒な生涯に唖然・呆然とした。十代で詩集を出版して注目されてから74歳で亡くなるまでの人生は、ケタ外れの好色・浪費・借金踏み倒しの連続で、そこから多くの詩・小説・戯曲を生み出している。それだけではなく、イタリア国民を鼓舞する極端な行動を展開し、この国の運命を左右する存在になってなってしまうのである。

 2017年に訳書が出た本書の原著はダンヌツィオ生誕150周年の2013年の刊行で、著者は1951年生まれの女性伝記作家である。2段組600ページを超えるこの伝記は、エピソード集成の形式でダンヌツィオという怪物的人物の生涯を描き出している。

◎自己演出の人

 ダンヌンツィオは高潔な文豪ではない。自己演出、自己宣伝に長けた人だった。十代で最初の詩集を親の金で出版したときは、「夭折した天才」を演ずるために自分が死んだという誤報を新聞社に提供している。また、生涯に何度か決闘をしているが、そのいくつかはヤラセだったらしい。

 と言っても多くの作品が高く評価されたのは事実であり、旺盛な創作力で詩・小説・戯曲を生み出した。その創作力の源泉は並外れた浪費と色情狂とも思える好色であり、借金返済に追われながら常に複数の愛人がいたようだ。

 私は小説や戯曲を読んでいないのでよくはわからないが、作風は頽廃的で死や血を好んだらしい。そんな作風であっても「詩聖」「国民的作家」になったのはわかる気がする。文学とはそういうモノである。

◎イタリアの独裁者になったかも…

 ダンヌンツィオがスゴイのは文学者であることを超えて「軍人」「政治家」として奇矯な活躍をして英雄になったことである。その行動はあくまで文学者的であり、「詩人の軍隊」「詩人の政治」という面妖なものを現出させたのである。三島由紀夫や石原慎太郎とは自己演出のスケールが違う。

 第一次世界大戦の戦後処理交渉で戦勝国イタリアには不満が渦巻いていた。パリにおけるイタリア首相オルランドとイギリス首相ロイド・ジョージの交渉場面を本書は次のように描いている。

 「パリでオルランドがロイド・ジョージに、議会の反乱あるいは民衆の暴動によって自分は失脚するだろうと告げたとき、ロイド・ジョージは誰が権力を握ると考えているのかと尋ねた。「おそらくダンヌンツィオだろう」とオルランドは答えた。」

 ダンヌンツィオは、周辺の人々の陰謀や策謀に乗ればイタリアの独裁者になった可能性もあったのだ。

◎超現実的な王国

 ダンヌンツィオの政治・軍事行動で有名なのは第一次世界大戦後のフィウーメ(現在はクロアチアのリエカ)への進軍・占拠である。ダンヌンツィオはこの地で10カ月間、事実上の独裁者になる。

 激烈な演説ができる独裁者ダンヌンツィオは行政や政治には無関心で、その能力もなかった。あくまで浪費が大好きな好色の詩人だった。当初は多くの支持者が彼の周囲に集まっていたが、やがてその多くは立ち去り、替わりに怪しげな人々が集まってくる。

 そして、フィウーメはダンヌンツィオを王様に戴くヒッピーの国の様相を呈してくる。おとぎばなしのような超現実的な王国が短期間とはいえ現実に存在したことに驚く。

◎ムッソリーニが恐れた男

 フィウーメから撤退した後、ダンヌンツィオはガルダ湖畔の屋敷に蟄居し、イタリアはムッソリーニの国になってゆく。ダンヌンツイオはムッソリーニ台頭の土壌を作った人物と見なされることが多いが、本書を読むとそう単純ではないとわかる。ダンヌンツィオはファシストいうよりはナショナリストだったように思える(本書の原題は『The Pike(カササギ)』である。邦題にはやや疑問が残る)。

 ダンヌンツィオはムッソリーニをさほど評価せず、ムッソリーニはダンヌンツイオが他の勢力に利用されることを恐れていた。それゆえに、ダンヌンツイオを幽閉するかのように優遇し、ガルダ湖畔のダンヌンツイオの屋敷の拡充に国家予算をつぎ込んだ。借金踏み倒し常習者の浪費の財布は国庫になったのである。

 ガルダ湖畔の屋敷ヴィットリアーネは現在は観光資源になっているそうだ。

◎国民国家形成への役割

 イタリア統一運動によってイタリア王国ができたのはダンヌンツィオが生まれる2年前の1861年であり、ローマが併合され首都になったのは1870年である。ダンヌンツィオはイタリアという国民国家の揺籃期の人である。

 国民とは想像の中にしか存在しない共同体であり、国民国家の形成には共有できる想像上の「何か」が必要である。多くの人々に読まれる詩・小説・戯曲を生み出す「国民作家」が国民国家の形成に果たす役割は大きい。一人の詩人が英雄になる様を描いたダンヌンツィオの伝記でその事実を確認した気がする。