榎本武揚を魅力的に描いた『武揚伝』の陰の主人公は勝海舟2018年11月11日

『武揚伝 決定版(上)(中)(下)』(佐々木譲/中公文庫)
 私は幕末維新の人物では榎本武揚に好感を抱いている。「蝦夷共和国」という夢のある大きな構想を実現させようとした国際法に明るい軍人政治家である。合理的思考ができる理系人間で、幅広い知識を習得した有能な技術者でもある。そんな人物が魅力的なのは当然だと思う。

 と言っても榎本武揚に関する断片的な知識があるだけで、半世紀昔の学生時代に安部公房の『榎本武揚』を読んだ以外まとまったものを読んだ記憶はない。いずれ、いろいろ読もうと思いつつ月日が経った。そして、70歳を目前にして次の歴史小説を読んだ。

 『武揚伝 決定版(上)(中)(下)』(佐々木譲/中公文庫)

 全3冊だが長さを感じさせない面白さがあり、一気に読める。フィクションを織り込んだ小説だから主人公を魅力的に描いているのは当然だが、科学技術志向の聡明な軍人が人望あるリーダーへと成長していく物語になっているのがいい。

 この小説のタイトルに「決定版」とあるのは、2001年に刊行した小説を2015年に改稿しているからである。著者の「あとがき」には「この十数年のあいだに榎本武揚研究が進み、新史料もさまざま出てきた。(…)新史料、新しい研究成果を付加して書き直した」とある。フィクションとは言え、史実の大筋を反映していると思われる。

 この小説で面白いのは勝海舟を悪役に仕立ててるところだ。オランダ語ができるだけで軍事の実学ができない艦長失格の口舌の徒、自分を売り込むことに長けた薩摩・幕府の二股膏薬の政治屋と描いている。

 ただし、江戸開城後の薩摩軍の狼藉に挫折を感じる勝海舟も描いていて、その勝海舟を「世の先行きを見通すことのできる知性と、激情に流されぬだけの分別と、大きな戦略を描くことのできる想像力の光を有していた」と評価する箇所もある。

 そして、「蝦夷共和国」を立ち上げた榎本武揚に対して勝海舟は「そんな自治州ができた暁には、新しい世はずたずたになる。たえず政変と内乱の火種を抱えることになる」と嫉妬に近い強烈な反発を吐露する。幕末維新の大立者、ホラ吹きの勝つぁんが武揚の引き立て役になっているのだ。この小説の陰の主人公は勝海舟のように思えてくる。

 榎本武揚が箱館戦争で敗退するのは34歳の時である。その後、彼は明治政府の有能な高官として活躍して73歳で没する。しかし「武揚伝」と題するこの小説は、箱館戦争後の半生は1頁半の概説で終わっている。後半生にドラマは乏しいかもしれないが、後半生の葛藤にも踏み込んでほしかった。

テント芝居小屋「平成中村座」初体験2018年11月08日

 浅草寺の境内で平成中村座の十一月大歌舞伎・昼の部を観た。「十八世中村勘三郎七回忌追善」と銘打った公演である。10月の歌舞伎座も「十八世中村勘三郎七回忌追善」だったから2カ月続けての追善公演である。

 平成中村座の歌舞伎は初体験だ。勘三郎が江戸の芝居小屋を再現した仮設劇場「平成中村座」を旗揚げし、日本各地だけでなくニューヨークにまでその芝居小屋を持ち込んで公演したという話は新聞や雑誌で知っていて、関心はあった。だが、観たいと思いつつ機会を逸し、勘三郎没後7年が経過した。

 観劇の動機は「平成中村座」という芝居小屋がどんな所だろうという興味である。テントだというが、写真では普通の立派な芝居小屋に見える。

 その芝居小屋は、仲見世通りを抜けて浅草寺を回った裏手に建っていた。遠くから見ると大きな倉庫のようにも見える。近づいてよく見ると、垂直の壁は確かにテントだ。紅テントや黒テントとは規模が違う。芝居小屋の前には屋台風の売店も並び、華やかな風情である。

 昼の部の演目は「実盛物語」「近江のお兼」「狐狸狐狸ばなし」の3本、もちろん勘九郎と七之助の見せ場もあり、歌舞伎はエンタメだと了解できる舞台だった。勘九郎の5歳の次男長三郎が科白の多い役を可愛く立派にこなしているのに感心し、歌舞伎の家に生まれた子供の優位と宿命を再認識した。

 遮音性が低いテント小屋なので、芝居の最中に上空を飛ぶヘリコプターの爆音が聞こえてくることがあった。うるさいと思うより、一過性の芝居を観ているという臨場感に浸る気分になった。

80年を通観した『日本近代史』は頭が疲れる本2018年11月06日

『日本近代史』(坂野潤治/ちくま新書)
 『日本近代史』(坂野潤治/ちくま新書)

 1857年(安政4年)から1937年(昭和12年)までの80年を通観した史書である。新書としてはやや分厚い約450ページで、安政の大獄の頃から盧溝橋事件までの歴史を分析的に記述している。

 この新書を読了するにはかなり時間がかかった。途中で何冊か他の本の割り込みもあったが、読み通すのに骨が折れるのは分厚さのせいではない。日本が大きく変貌したこの80年間のさまざまな出来事や時代の動きに翻弄され、頭が疲労困憊するからである。

 80年という時間は歴史を見る目からはさほど長くはない。私だって70年近く生きているから、その間の世の中の変遷を眺め、体験してきた。しかし、幕末から昭和の開戦前夜までの80年の歴史には、人間一人の一生では消化しきれない濃密さがあり、その流れについて行くのは大変である。

 坂野潤治氏は私が先月読んだ『西郷隆盛と明治維新』(講談社現代新書)の著者で、その中で「西郷を尊敬する」と明言し、西郷を高く評価していた。もちろん、その見方は本書でも同じである(本書の刊行は『西郷隆盛と明治維新』の前年)。

 著者はこの80年を以下の6段階にわけて分析している。

 (1) 改革の時代(1857-1863)公武合体
 (2) 革命の時代(1863-1871)尊王討幕
 (3) 建設の時代(1871-1880)殖産興業
 (4) 運用の時代(1880-1893)明治立憲制
 (5) 再編の時代(1894-1924)大正デモクラシー
 (6) 危機の時代(1925-1937)昭和ファシズム

 概ね納得できる区分だが、明治維新を「革命」と見ているのが本書の特徴だろう。公武合体論を保守、尊王討幕を革新と見る立場である。明治維新を「革命」と見るか否かは歴史学者の間でも議論があり、そもそも「革命とは何か」から明らかにする必要があり、私ごときには何とも評価できない。

 本書で面白く思ったのは、日露戦争後の日比谷焼き討ち事件などの講和反対運動を1960年の日米安保反対運動と重ねて見ている点である。世界の現実を理解できない蒙昧な大衆運動とも見えるし、体制への反発・抵抗の発露と見ることもできる。多面的な切り口で分析すべきテーマである。歴史的出来事と思っていた日比谷焼き討ち事件が、60年安保を知っている身に身近な課題に感じられた。

 私が最も興味深く読んだのは後半の大正から昭和初期の歴史である。この時代への漠然とした理解が覆されるような指摘が多く、勉強になった。原敬や浜口雄幸などをめぐる政党の話は、評価軸が複雑に入り組んでいて面白い。美濃部達吉の軍部に批判的な「正論」を著者が批判的に見ているのも興味深い。

 本書最終章の「危機の時代」の次には「崩壊の時代」がやって来る。危機の時代において、崩壊の時代を未然に防ぐことができたか、著者はそれについて若干の考察をしている。タラレバではあるが、より深く広く考えるべき歴史の課題だと思う。

古代ローマではキリスト教に拮抗していたミトラ教2018年11月04日

『ミトラの密儀』(フランツ・キュモン/小川英雄訳/ちくま学芸文庫)
『ローマ帝国の神々』(小川英雄/中公新書)を読んだのは半年前で、読後感をブログに書いたにもかかわらず、その内容は頭の中でおぼろになりつつある。その著者の小川英雄氏が翻訳した『ミトラの密儀』が先月、文庫版で出版された。

 『ミトラの密儀』(フランツ・キュモン/小川英雄訳/ちくま学芸文庫)

 著者のキュモンはミトラ研究の第一人者で、原書が出たのは1899年である。翻訳版は1世紀後の1993年に平凡社から刊行され、15年経ってちくま学芸文庫に収録された。

 半年前に『ローマ帝国の神々』を読んだのは、古代ローマ史に見え隠れする謎のミトラ教につい知りたいと思ったからである。すでに頭の中で薄れつつある読書記憶の更新になればと本書を購入した。

 読み始めてすぐに、門外漢の私には難しい本だと気づいた。未知の固有名詞(地名、用語など)が多く、一般書というより学術書に近い。難儀なことだと思ったが、全300ページの後半100ページは「註」や「目録」で本文は200ページ、文庫本で200ページなら何とか突っ走ろうと覚悟して読み進めた。

 ミトラ教は古代イランを起源とする古い宗教で、ゾロアスター教など多様な信仰との融合で形成されている。教典などが残っているわけではなく、その内容は明確にはわかっていない。ただし、この宗教がローマ帝国に伝播し拡大していたことはさまざまな痕跡から明らかになっている。

 本書はミトラ教がローマ帝国でどのように拡大したか、その教義や典礼はどんなものであったかを、いろいろな手がかりを元に丁寧に解説している。

 途中までは読み進めるのがしんどかったが、最終章の「ミトラとローマ帝国の諸宗教」でがぜん面白くなった。ミトラ教とキリスト教の世界制覇をかけた抗争を描いているからである。

 キリスト教に制覇されるまでのローマ帝国は伝統的な多神教の世界だと思っていたが、そのローマ帝国で一大勢力を築いていたミトラ教はキリスト教と同じ一神教である。キリスト教とミトラ教との共通点も多い。というか、ミトラ教に勝利したキリスト教はミトラ教からさまざまなものを取り入れたのである。キリスト教が何らかの事情で挫折していれば、ミトラ教が世界宗教になったかもしれないとも言われているそうだ。

 キュモンはミトラ教がキリスト教に敗れた要因をいくつか分析している。その一つは、ミトラ教がローマ帝国の多神教に寛容だったのに対し、キリスト教は多神教を認めなかった点である。キリスト教の非妥協的で反抗的な姿勢が、結局は勝利につながったというのである。興味深い見方だと思った。

 現在、ミトラ教が「謎の宗教」なのは、非妥協的なキリスト教の勝利によってその痕跡の多くが消されたせいだと思われる。

 本書の最終章は次のセンテンスで終わっている。

 「このように更新されていったミトラの教義は何世紀もの間あらゆる迫害に耐え、中世の間に新しいかたちの下に再興し、新たに古くからのローマ世界を揺るがせることになるのである」

 私には、これが何を意味しているのかわからない。もう少し勉強する必要がある。

飛べないメジロ始末記2018年10月30日

 ベランダでカミさんが「キャー」と叫んだ。小鳥が死にそうになっているという。突然、空から落ちて来たそうだ。

 小さな鳥がわが家のベランダで仰向けになってピクピク動いている。そっと手で表向きにしたが、うずくまった姿勢でかすかに体を動かすだけだ。どうしていいかわからず、そのまま放置した。

 1時間ほど経って見に行くと、その場所にいない。あたりを見回すと、チョンチョンとベランダを歩き回っている。そのうち飛び立つだろうと期待した。

 しばらくたって見に行くと、その小鳥は仰向けになっていた。手で元に戻してやると、またチョンチョンと歩き出す。しばらく歩いて、羽根をはばたかせて飛ぼうとするとすってんとひっくり返って仰向けになる。そうなると自力では元に戻れないようだ。やっかいな小鳥である。

 よく観察すると、右の翼がはばたくだけで左の翼はまったく動かない。これではすぐには飛び去りそうにない。夕暮れも迫ってきた。仕方なくわが家で保護することにした。高さ15センチしか飛べないのだから鳥かごは必要ない。屋内のベビーバスに入れた。

 カミさんが図鑑で調べて、その小鳥はメジロだと判明した。わが家に鳥の飼育法の本はない。庄野潤三の『メジロの来る庭』という本はあるが、もちろん飼育教本ではない。ネットを検索すると、いろいろな情報が出てきた。メジロは捕獲や飼育が法律で禁止されているそうだ。にもかかわらず飼育法の記事もあるし、メジロの餌もいろいろ販売されている。

 ネットの情報をもとにミカンを与えるとよく食べる。とりあえず餌も注文した。ミカンをついばむ姿はかわいい。ベビーバスの中で落ち着いたメジロは無理にはばたこうとはせず、仰向けになることもない。

 通販で届いた餌はミカンに塗って与えた。しっかりミカンを食べるものの、いつになったら飛べるようになるかわからない。動物病院に連れていけばいいのだろうが、そもそも飼育禁止の動物である。

 メジロを保護して2日目、落ち着いて考えてみると、やっかいな小鳥である。餌は毎日与えねばならず、寿命は3~5年だという。メジロがいては旅行もできない。旅行中は人にあずけるとしても、違法行為に巻き込むことになる。

 どうしたものかと思案し、日本野鳥の会に相談しようと思いつき、そのホームページを見ると「よくある質問」に「けがをした鳥を保護したのですが、どうしたらよいでしょうか?」という項目があった。回答には、当面の緊急措置の解説に続いて「必ず各都道府県の野生鳥獣担当機関に連絡し、指示を仰いでください」とある。

 その回答に従って、東京都多摩環境事務所自然環境課鳥獣保護管理担当に電話を入れると、担当者が引き取りに来た。購入したばかりの餌も引き取ってくれた。引き取った野鳥は獣医の診断を受け、回復すれば保護した場所で放すそうである。

 飛べないメジロ一羽にもきちんと対応する行政にあらためて感心し、文明の力のようなものを感じた。わが家に3泊して引き取られて行ったメジロが回復して自然に還る日が来ることを祈っている。

いつの日か再読したい『薔薇の名前』2018年10月23日

『薔薇の名前(上)(下)』(ウンベルト・エーコ/河島英昭訳/東京創元社)
 未読のまま26年間本棚で眠っていた『薔薇の名前』を読んだ

 『薔薇の名前(上)(下)』(ウンベルト・エーコ/河島英昭訳/東京創元社)

 きっかけはEテレの「100分de名著」が本書を取り上げたからである。全4回を録画し、小説を読了したら観ようと思っていたが、本を手にする前に第1回だけ観てしまった。映画でおよそのスジは知っているのでいいかと思ったのである。

 この番組によれば、1980年に発表された『薔薇の名前』は全世界で5,500万部以上売れていて、大半の人が読み通すことができずに挫折しているらしい。私もその一人だった。

 ショーン・コネリー主演の映画『薔薇の名前』を観たのは30年近く昔である。 重厚陰鬱な中世の僧院の世界が印象的な映画で、「007」のショーン・コネリーが重厚で魅力的な老優に変貌しているのに驚いた記憶がある。

 その頃、何かの会合でこの作品が話題になり、私が「映画は観たけれど、小説を読んでいません」と言うと、ある人から「あれは映画だけじゃだめです。小説を読まなければ…」と強い調子で言われた。その人は私が尊敬する大先達だったので、小説も読もうと思った。しかし、読了できなかった。

 多くの人が挫折しているとテレビで聞き、26年前の大先達の言葉がよみがえり、今度こそは読み通そうと思った。

 そんな覚悟で読み始めると、想像したほどに読みにくくはなく、比較的短時間で面白く読了できた。中世キリスト教会の宗派の話などは把握しにくくて退屈する箇所もあったが、そんなところも何とか乗り越えて、蠱惑的とも言える世界に引き込まれて興味深く読み進めることができた。

 と言っても、本書の内容を十全に理解できたわけではなく、エーコの魅惑的世界を十分に堪能できたとは思えない。ついついミステリーの縦糸に牽引されて、さまざまな横糸の部分をすっ飛ばして読んでしまった気がする。

 この小説はホームズとワトソンの謎解き物語という仕立ての上に、書誌学と書物への偏愛、笑いの哲学、中世キリスト教史と異端審問、記号学などの要素が盛り込まれていて、メタ書物のような形になっている。

 読了後に思ったのは、いつの日か、多少の事前勉強をしたうえで、ゆっくりと時間をかけて再読したいということである。そのときには、縦糸と横糸だけでなくナナメの糸も絡んだ重層的な織物を堪能できればと夢想する。

14年前に出た十八世勘三郎の半生記を面白く読んだ2018年10月20日

『勘九郎日記「か」の字』(中村勘九郎/集英社/2004.11)
 今月観た歌舞伎が「十八世中村勘三郎七回忌追善」だったのがきっかけで、書架に眠っていた次の本に手がのびた。

 『勘九郎日記「か」の字』(中村勘九郎/集英社/2004.11)

 14年前に出版された半生記で、この本が出た時点(2004年11月)では勘九郎だが、すでに勘三郎襲名(2005年3月)が決まっていた。襲名の7年後(2012年12月)、57歳で早世する。

 数年前に古書市で購入し、いずれ読もうと積んでいた本である。誕生時や初舞台のことから勘三郎襲名をひかえた決意までが軽妙な日記体で書かれていて、面白く読了した。

 2004年の平成中村座のニューヨーク公演のドキュメント、幅広い交友、歌舞伎の舞台裏から私生活までを臨場感たっぷりに語り、新時代の歌舞伎への覚悟も伝わってくる。

 18世勘三郎は私が初めて知った歌舞伎役者である。彼は幼児の頃からメディアに出ていた。私は彼より7歳年長なので、子ども頃から子役の「勘九郎クン」を知っていた。だが、テレビなどで観るだけで、彼のナマの芝居を観たことはない。

 あの「勘九郎クン」が大人になり、状況劇場などからも影響を受けて歌舞伎の新しい形に取り組んでいることは知っていた。注目していた役者だったのに舞台を観る機会を逸したのは残念である。

 仕事をしていた頃は時間の制約から歌舞伎を観るのは難しかったが、評判の『野田版 研辰の討たれ』(2001年8月)はぜひ観たいと思った。土日のチケットは取れなかったので、一幕見でもと思い、勤務終了後に歌舞伎座まで行ったが長い行列ができていて満席で入れなかった。別の日にも行ったがやはりダメだった。

 後日、DVDで『野田版 研辰の討たれ』を観て、その面白さを確認し、あのときもっと粘ってナマで観たかったという気持ちがよみがえった。

 本書のラスト近くで、立川談志とのエピソードを楽しげに次のように語っている。

 『家元(立川談志)は私に死ねという。もちろん得意のブラックジョークだが、なぜ「早く死ね!」かというと「若いうちに早く死ねば、伝説になる」というのだから、たまらない。』

 亡くなる8年前の記述である。いまとなってはしみじみと読むしかない。本当に早世して伝説になったのだから。

やっと『三人吉三』を観た2018年10月18日

 先月に続いて今月も歌舞伎座の「昼の部」「夜の部」を通しで観た。今月は「十八世中村勘三郎七回忌追善」で、演目は以下の6本である。

 昼の部
  1. 三人吉三巴白波
  2. 大江山酒呑童子
  3. 佐倉義民伝
 夜の部
  1. 宮島のだんまり
  2. 吉野山(義経千本桜)
  3. 助六曲輪初花桜

 中村勘三郎の追善だから観ようと思ったのではなく、三人吉三が目当てである。仁左衛門の助六も観たいと思った。

 私が年に数回歌舞伎を観るようになったのは5年ぐらい前からで、現役で仕事をしていた頃はほとんど観ていない。まだ入門者なので未見の有名演目も多い。その一つが三人吉三だった。

 私の世代(1948年生まれ)にとって、三人吉三と言えば橋幸夫の歌謡曲『お嬢吉三』ではなかろうか。テレビやラジオでこの歌謡曲を繰り返し耳にしたのは1963年、中学3年のときで、舟木一夫の『高校三年生』がヒットした年である。

 当時、青春歌謡は好んで聞いたが『お嬢吉三』はアナクロ歌謡なので関心外だった。しかし、軽やかなリズムの名調子を何度も耳にするうちに、意味がわからないままに歌詞の断片は頭の底にこびりついた。

 久々にネットでこの歌謡曲を聴いてみて、なかなかいい歌だと思った。4番までの歌詞を丁寧に聴いて、大川端庚申塚の場のスジ書きを端的簡潔に表現しているのに感心した。舞台が目に浮かぶ歌である。

 今回初めて観た三人吉三は、お嬢吉三が中村七之助、お坊吉三が坂東巳之助、和尚吉三が中村獅童という若い取り合わせで、名調子の科白は心地よく、役者の姿も美しい。橋幸夫の歌謡曲のイメージを半世紀以上経って実見できたという感慨がわいた。

 夜の部最後の演目、仁左衛門の助六も堪能できた。昨年春に海老蔵の助六を観ているので、この歌舞伎十八番の有名演目はやっと2度目である。海老蔵のときは「助六由縁江戸桜」という演題だった。今回の演題は「助六曲輪初花桜」、この芝居の題は主演役者の家によって変わると初めて知った。不思議なしきたりがある所が歌舞伎の面白さである。

西郷隆盛は会っても理解できないメンドーな人か…2018年10月16日

『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治/講談社現代新書)、『素顔の西郷隆盛』(磯田道史/新潮新書)、『西郷隆盛 維新150年目の真実』(家近良樹/NHK出版新書)、『西郷隆盛:西南戦争への道』(猪飼隆明/岩波新書)
◎歴史学者は西郷隆盛をどう見ているか

 西郷隆は盛はあまり深入りしたくない人物で、大河ドラマ『西郷どん』もきちんと観ていない。それでも、西郷隆盛を美化しすぎ、そのぶん徳川慶喜を卑小な悪役にしてるように思え、少々鼻につく。

 大河ドラマはフィクションだと割り切ってはいるが、歴史学者たちが西郷隆盛をどう評価しているか確かめたくなり、次の新書を読んでみた。

(1)『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治/講談社現代新書)
(2)『素顔の西郷隆盛』(磯田道史/新潮新書)
(3)『西郷隆盛 維新150年目の真実』(家近良樹/NHK出版新書)
(4)『西郷隆盛:西南戦争への道』(猪飼隆明/岩波新書)

 この4冊の著者はみな学者である。(2)(3)は最近の刊行で大河ドラマ『西郷どん』にも触れている。(1)は2013年4月刊行、(4)は1992年6月刊行である。

 4冊の新書を読んで西郷評価の難しさと面白さを感じた。西郷の言動や書簡は多数残っているが、黙して語らなかった事項も多い。表面的事象はわかってもその内面、つまり何を考えていたのか(あるいは考えていなかった)はわからない。そこに矛盾や謎があり、評価が難しくなるようだ。

◎同時代の人にとっても謎の人

 4冊の中では(3)が一番面白かった。著者の家近氏は西郷の謎を解明しようという動機で本書を書いており、その問題意識は私の関心に近い。家近氏は本書刊行の直前に「分厚い西郷隆盛の評伝」を刊行していて、この新書はその評伝の続編をかねた入門書になっている。いつの日か分厚い評伝に挑戦したいと思わないでもないが、この新書に評伝の骨子は反映されているようにも思える。私が着目した本書の指摘は以下の通りである。

 ・薩摩幕末史の主役は西郷・大久保ではなく久光と小松帯刀だった
 ・西郷は好き嫌いの激しい狭量な人物で包容力はなかった
 ・西郷は同時代の人々にとっても謎の人物だった
 ・西郷・大久保は慶喜を過大評価し恐れていた
 ・慶喜は物事を俯瞰的に眺めて冷静な判断はできたが胆力はなかった
 ・西郷と大久保を対等な盟友ではなく先輩・後輩の関係と見るべきだ

◎征韓論者西郷は虚像

 (1)の著者・坂野氏は「西郷を尊敬する」と明言している。学者にしては思い切った言い方で感心した。西郷を「征韓論者」と見なすのは間違いだとし、次のように述べている。

 「幕末維新期の西郷は、対外政策では冷静かつ合理主義的であり、国内政治では民主的で進歩的であった。幕末の西郷は、吉田松陰や木戸孝允とちがって、一度も「攘夷」を唱えたことはなかった。」

 合理主義的、民主的、進歩的という形容は一般的な西郷のイメージとはかなり異なる。坂野氏は幕末期の西郷が藩を超えた藩兵の横断的結合を重視していたことを強調し、西郷の「実像」を呈示している。

 私には著者の呈示した「実像」の妥当性を評価する能力はない。あらためて、多様な見方ができる人物だったと思うしかない。

◎西郷は天皇親政を期待

 (4)は明治6年の政変(征韓論の敗れた西郷、板垣らの下野)から西南戦争までの政治史を「有司専制」をキーワードに分析している。わかりやすくはないが興味深い分析である。

 大久保らの「有司専制」とは藩閥や藩士意識を排除した官僚制である。明治6年の政変は、「有司専制」が西郷・板垣によって堀り崩されようとしているのに危機感をもった大久保・岩倉が「有司専制」を進めるために西郷・板垣を排除した事変だとの見立てである。

 西郷が「有司専制」に反発したのは西郷に藩士性が強く残っていたからであり、有司専制ではなく天皇親政を期待していたそうだ。西郷の死後、日本は有司専制から天皇親政官僚制に移行し、西郷は復権したという分析である。

 猪飼氏は西郷の人間の大きさ(至誠・胆力・正直・公平・無私など)が広く国民に知られていたとしつつも、政治家・行政官としては無能で明確な国家構想はなかったと評価している。軍(いくさ)好きの軍略家だとも述べている。

◎近寄れば死の匂いがする人

 (3)の著者・磯田氏は『西郷どん』の時代考証を担当している歴史学者である。と言っても(3)は必ずしも西郷を肯定的に評価した内容ではなく、史料をベースに西郷の生涯を概説している。

 西郷の人物像を語った箇所をいくつか引用する。

 「西郷は人間的には大きいのですが現代風にいえば、かなり面倒くさい男であったのは確かです。西郷は我々のイメージと違って、包容力のある男ではありません。必要以上に人とぶつかる男で、後年、薩摩の知人たちが、西郷には困らされたと語っています」

 「西郷の押しの強さ、相手に言うことを呑ませる力は、何をするかわからないという恐怖感と背中合わせなのです」「無体な処分を主張し続けて、文句を言う者は短刀で殺すという。はっきり無茶です。でも西郷ならやるかも、と思わせる力があり皆を黙らせたのです」

 「西郷は万事、不器用で、失敗が多いのです」「ムラの多いリーダーです。見事な指揮をする時期と、ふさぎこんで無能の人になる時期との差が大きいのです」

 「あれだけ人望があり、人に好かれる明るさがあるのに、近寄れば近寄るほど死の匂いがしてくるのです」「子供みたいな純真な側面がありながら、策謀を始めるといくらでも悪辣なことを考えられる頭脳」

 磯田氏は上記のように語りながら「西郷は色々な顔をもち、それだけ人物像の確定が難しい」とし、歴史家や作家泣かせの人物だとしている。

◎大人物を演じることができた人では…

 4冊の新書を読んで私の頭の中に浮かんだ西郷像は「演じる人」である。胆力があると見なされる人物の多くは「演じる人」であり、演じる自分と自身を一体化できる人だと思う。

 演じる自分に自信をもつと素顔と仮面の区別がつかなくなり、周囲に大きな磁場を発散する。身近な人にとっては「面倒な人」「つきあい切れない人」になる。大久保や従道はその磁場から逃げた人に思える。

 司馬遼太郎は『翔ぶがごとく』のなかで、西郷という人物は「会ってみなけらばわかない」と述べている。だが、会っただけでもわからない人物だったように思える。いつの時代にもそういう人はいそうな気がする。私が小人物だからこんな考えになるのだろう。

カミュの『誤解』は、やはりカミュ2018年10月14日

 新国立劇場小劇場でカミュの『誤解』(演出:稲葉賀恵、出演:原田美枝子。小島聖、水橋研二、他)を観た。同じ劇場で8月にサルトルの『出口なし』を観たばかりだ。サルトル、カミュと続き1960年代にタイムスリップした気分である。

 と言っても初見の芝居なので懐かしさを感じたわけではないし、自分が若返った気がするのでもない。時代のうねりには大きな周期がある。あの頃に求められていた何かと似た何かの意義が大きくなりつつあるのかもしれない。

 戯曲『誤解』はかなり以前に読んだが詳細は失念している。ダールばりのブラック・ユーモア(ホラー)的プロットだけが印象に残っていた。今回の舞台を観て、「哲学的」とも言える長科白が多いのが意外だった。当然ながら、ダールではなくカミュの世界である。年月とともにわが頭からはカミュ的難解な部分が蒸発し、ダールだけが残留していたようだ。

 ナチス占領下のフランスでカミュが執筆したこの芝居の舞台は陰鬱な田舎町である。そこで小さなホテルを営んでいる母と娘は自分たちの住む世界に絶望的な閉塞感を抱いている。そして、海に面した南国への脱出を夢見ている。だが、その夢がかなえられることはない。

 救いも神もない状況を呈示した芝居である。それでも、登場人物たちは目いっぱいに自身を語る。その大いなる語りこそが人間が生きる営みであり、脱出口なのかもしれない。原田美枝子の疲れた母の好演、小島聖の突っ張る娘の熱演を眺めながら、そんな考えが頭をよぎった。