19世紀を知りたくて『近代ヨーロッパの情熱と苦悩(世界の歴史22)』を読んだ ― 2026年08月31日
19世紀ヨーロッパを概説した中公版『世界の歴史』第22巻を読んだ。
『近代ヨーロッパの情熱と苦悩(世界の歴史22)』(谷川稔・北原敦・鈴木健夫・村岡健次/中央公論社/1999.2)
私は19世紀に関心がある。どんな時代だったか体感できればとも思う。日本なら幕末・維新を含む江戸末期から明治、77歳の私には曾祖父母あるいはその父母の時代であり、かろうじて現代と地続きに感じられる時代なのだ。
19世紀を知りたいと思った契機は、ピケティが『21世紀の資本』で21世紀は19世紀のような格差社会になるかもしれないと指摘していたからだ。最近読んだ『新書 世界現代史』は、現代の世界が弱肉強食のジャングルの掟が通用する19世紀に向かっていると警告していた。19世紀がどんな時代だったか把握したくなる。
『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』と題する本書は4人の筆者が地域別に執筆する4部構成になっている。
第1部 フランスとドイツ――国民国家へのはるかな道(谷川稔)
第2部 自由を求める南ヨーロッパ(北原敦)
第3部 19世紀ロシアの嵐(鈴木健夫)
第4部 ヴィクトリア時代イギリスの光と影(村岡健次)
ナポレオン後のウィーン体制の崩壊から第一次世界大戦前夜までのヨーロパを「英独」「伊」「露」「英」に分けて概説している。第2部を「イタリア」でなく「南ヨーロッパ」としているのに含蓄がある。近代国家形成という主題は共通だが、4人の筆者が奏でる4つの地域の歴史のトーンはかなり異なる。四者四様の壮大な変奏曲のような1巻だ。
第1部は新たな希望に見えた国民国家の功罪、第2部はバラバラ統合の悲喜劇、第3部は皇帝と農奴の国の革命前夜の苦悩、第4部は産業革命の帝国の繁栄が秘めた陰影――そんな論議を奏でている。フランス・ドイツの理念のカラ回り、イタリアの情念のカラ回り、ロシアの苦悩のカラ回り、イギリスの帝国主義傲慢のカラ回りにも見えて、かなり面白い。
本書を読んでいて、5カ月前に拾い読みしていたのを思い出した。ドーデの『最後の授業』に関する部分で、その一部を以下のようにわがブログに引用していた。
《『最後の授業』批判の根底には、国民を構成する要素は言語や人種だというドイツ的な考え方があるそうだ。それに対してフランスでは、国民の観念を「国家がかかげる基本原理を共有しようとする意志」に求める考え方が有力だそうだ(谷川稔『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』より)》
ドイツ語方言のアルザス語を話すアルザス地方はフランスかドイツかという国民国家の課題である。ドイツ的な考え方もフランス的な考え方も、自国を正当化するイデオロギー性がある。19世紀は「イデオロギー」「理念」「神話」の力が歴史を大きく動かした時代かもしれない。
谷川氏の指摘で初めて知ったのだが、19世紀なかばを過ぎても国語としてのフランス語は成立していなかったそうだ。フランス語とはまったく異なる少数言語地帯がフランス国内に多数存在し、識字率も低かったらしい。
ヨーロッパの19世紀を読みながら、日本の19世紀とさほど変わらないなと感じた。日本がヨーロパを手本にした面が大きいのだろうが、ヨーロッパも日本もそれぞれにストラッグルしている。雑駁な印象だが。
本書には時代を表現した19世紀文学がいくつか登場する。ピケティはバルザックやオースティンを援用して19世紀の格差社会を描出していた。バルザック、ユゴー、デュマなど「パリの王様」を始め、ゾラ、ディケンズ、ドストエフスキーなど19世紀文学は大物が目白押しだ。ヴィクトリア朝を知るにはシャーロック・ホームズも欠かせない。歴史書とフィクションの双方から19世紀を探るのが興味深い。
で、21世紀を見通すのに19世紀の歴史は役立つか。役立つと思うが、具体的にはよくわからない。ヒントは山積している。ヒントが多すぎて、私のたよりない頭では整理が難しい。
『近代ヨーロッパの情熱と苦悩(世界の歴史22)』(谷川稔・北原敦・鈴木健夫・村岡健次/中央公論社/1999.2)
私は19世紀に関心がある。どんな時代だったか体感できればとも思う。日本なら幕末・維新を含む江戸末期から明治、77歳の私には曾祖父母あるいはその父母の時代であり、かろうじて現代と地続きに感じられる時代なのだ。
19世紀を知りたいと思った契機は、ピケティが『21世紀の資本』で21世紀は19世紀のような格差社会になるかもしれないと指摘していたからだ。最近読んだ『新書 世界現代史』は、現代の世界が弱肉強食のジャングルの掟が通用する19世紀に向かっていると警告していた。19世紀がどんな時代だったか把握したくなる。
『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』と題する本書は4人の筆者が地域別に執筆する4部構成になっている。
第1部 フランスとドイツ――国民国家へのはるかな道(谷川稔)
第2部 自由を求める南ヨーロッパ(北原敦)
第3部 19世紀ロシアの嵐(鈴木健夫)
第4部 ヴィクトリア時代イギリスの光と影(村岡健次)
ナポレオン後のウィーン体制の崩壊から第一次世界大戦前夜までのヨーロパを「英独」「伊」「露」「英」に分けて概説している。第2部を「イタリア」でなく「南ヨーロッパ」としているのに含蓄がある。近代国家形成という主題は共通だが、4人の筆者が奏でる4つの地域の歴史のトーンはかなり異なる。四者四様の壮大な変奏曲のような1巻だ。
第1部は新たな希望に見えた国民国家の功罪、第2部はバラバラ統合の悲喜劇、第3部は皇帝と農奴の国の革命前夜の苦悩、第4部は産業革命の帝国の繁栄が秘めた陰影――そんな論議を奏でている。フランス・ドイツの理念のカラ回り、イタリアの情念のカラ回り、ロシアの苦悩のカラ回り、イギリスの帝国主義傲慢のカラ回りにも見えて、かなり面白い。
本書を読んでいて、5カ月前に拾い読みしていたのを思い出した。ドーデの『最後の授業』に関する部分で、その一部を以下のようにわがブログに引用していた。
《『最後の授業』批判の根底には、国民を構成する要素は言語や人種だというドイツ的な考え方があるそうだ。それに対してフランスでは、国民の観念を「国家がかかげる基本原理を共有しようとする意志」に求める考え方が有力だそうだ(谷川稔『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』より)》
ドイツ語方言のアルザス語を話すアルザス地方はフランスかドイツかという国民国家の課題である。ドイツ的な考え方もフランス的な考え方も、自国を正当化するイデオロギー性がある。19世紀は「イデオロギー」「理念」「神話」の力が歴史を大きく動かした時代かもしれない。
谷川氏の指摘で初めて知ったのだが、19世紀なかばを過ぎても国語としてのフランス語は成立していなかったそうだ。フランス語とはまったく異なる少数言語地帯がフランス国内に多数存在し、識字率も低かったらしい。
ヨーロッパの19世紀を読みながら、日本の19世紀とさほど変わらないなと感じた。日本がヨーロパを手本にした面が大きいのだろうが、ヨーロッパも日本もそれぞれにストラッグルしている。雑駁な印象だが。
本書には時代を表現した19世紀文学がいくつか登場する。ピケティはバルザックやオースティンを援用して19世紀の格差社会を描出していた。バルザック、ユゴー、デュマなど「パリの王様」を始め、ゾラ、ディケンズ、ドストエフスキーなど19世紀文学は大物が目白押しだ。ヴィクトリア朝を知るにはシャーロック・ホームズも欠かせない。歴史書とフィクションの双方から19世紀を探るのが興味深い。
で、21世紀を見通すのに19世紀の歴史は役立つか。役立つと思うが、具体的にはよくわからない。ヒントは山積している。ヒントが多すぎて、私のたよりない頭では整理が難しい。
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