60年代の安部・三島・大江は熱かった ― 2026年07月26日
安部公房、三島由紀夫、大江健三郎、この三人を並べると、わが学生時代の1960年代末の狂騒的熱気をかすかに思い出す。あの頃、同時代の現代文学はこの三人が担っているという空気があった。
その三人の鼎談・対談をまとめた本が出ていると知り、入手して読んだ。猛暑続きでふやけた頭には、対談本のような軽いものがいいと思った。
『文学者とは何か』(安部公房、三島由紀夫、大江健三郎/中央公論社/2024.12)
この三人の生年・没年・享年は以下の通りだ。
安部公房(1924-1993、68歳)
三島由紀夫(1925-1970、45歳)
大江健三郎(1935-2023、88歳)
安部公房と三島由紀夫は同世代、二人ともノーベル文学賞候補と言われた。彼らより10歳若い大江健三郎は1994年、ノーベル文学賞を受賞した。
本書は次の5編を収録している。
「文学者とは」------------安部公房×三島由紀夫×大江健三郎、1958.11
「現代作家はかく考える」--三島由紀夫×大江健三郎、1964.9
「短編小説の可能性」------安部公房×大江健三郎、1965.7
「二十世紀の文学」--------安部公房×三島由紀夫、1966.2
「対談」------------------安部公房×大江健三郎、1990.12
これらの鼎談や対談、おそらく私は過去に読んでいるが、遠い昔のことなので失念している。なつかしさもあるが、現在の視点でまとめて読めば、何が浮かび上がってくるだろうかとの関心もあった。軽い読書のつもりだったが、カミ合っているのかいないのか不明の抽象的な話題の展開が多く、言葉のアクロバットを眺めている気分になった。脳内の回路がショートしそうだ。
この5編、1958年の鼎談は「序章」、1990年の対談は「後記」、1964年から1966年にかけての対談3編が「本編」という趣である。
1958年の「序章」鼎談の大江健三郎は23歳、まだ在学中の学生作家で、安部公房と三島由紀夫は三十代前半の気鋭だ。三人とも、かなりツッパッている。
1990年の「後記」対談は、三島由紀夫の自死から20年経過した時点の対談である。安部公房と大江健三郎は1970年代に絶交し、その後は本気で仲直りすることはなかったそうだ(『大江健三郎 自作を語る』より)。そんなせいか、この対談は淡々としている。今後の仕事についても語っているが、一仕事終えた二人の回想譚のようでもある。三島由紀夫とは何者だったかについても語り合っている。
1960年代の「本編」対談3編は熱気にあふれている。時代精神と文学の関わりを追究する三人の作家は意気軒高だ。議論がそれぞれにカラ回りしているように感じられたりもするが、新しい文学を生み出していこうという意欲が伝わってくる。
そんな時代があったのだ。私がこの三人の作品を同時代意識で読んだのも1970年代初頭までだった。時の流れを感じざるを得ない本である。読む前からわかってはいたが。
その三人の鼎談・対談をまとめた本が出ていると知り、入手して読んだ。猛暑続きでふやけた頭には、対談本のような軽いものがいいと思った。
『文学者とは何か』(安部公房、三島由紀夫、大江健三郎/中央公論社/2024.12)
この三人の生年・没年・享年は以下の通りだ。
安部公房(1924-1993、68歳)
三島由紀夫(1925-1970、45歳)
大江健三郎(1935-2023、88歳)
安部公房と三島由紀夫は同世代、二人ともノーベル文学賞候補と言われた。彼らより10歳若い大江健三郎は1994年、ノーベル文学賞を受賞した。
本書は次の5編を収録している。
「文学者とは」------------安部公房×三島由紀夫×大江健三郎、1958.11
「現代作家はかく考える」--三島由紀夫×大江健三郎、1964.9
「短編小説の可能性」------安部公房×大江健三郎、1965.7
「二十世紀の文学」--------安部公房×三島由紀夫、1966.2
「対談」------------------安部公房×大江健三郎、1990.12
これらの鼎談や対談、おそらく私は過去に読んでいるが、遠い昔のことなので失念している。なつかしさもあるが、現在の視点でまとめて読めば、何が浮かび上がってくるだろうかとの関心もあった。軽い読書のつもりだったが、カミ合っているのかいないのか不明の抽象的な話題の展開が多く、言葉のアクロバットを眺めている気分になった。脳内の回路がショートしそうだ。
この5編、1958年の鼎談は「序章」、1990年の対談は「後記」、1964年から1966年にかけての対談3編が「本編」という趣である。
1958年の「序章」鼎談の大江健三郎は23歳、まだ在学中の学生作家で、安部公房と三島由紀夫は三十代前半の気鋭だ。三人とも、かなりツッパッている。
1990年の「後記」対談は、三島由紀夫の自死から20年経過した時点の対談である。安部公房と大江健三郎は1970年代に絶交し、その後は本気で仲直りすることはなかったそうだ(『大江健三郎 自作を語る』より)。そんなせいか、この対談は淡々としている。今後の仕事についても語っているが、一仕事終えた二人の回想譚のようでもある。三島由紀夫とは何者だったかについても語り合っている。
1960年代の「本編」対談3編は熱気にあふれている。時代精神と文学の関わりを追究する三人の作家は意気軒高だ。議論がそれぞれにカラ回りしているように感じられたりもするが、新しい文学を生み出していこうという意欲が伝わってくる。
そんな時代があったのだ。私がこの三人の作品を同時代意識で読んだのも1970年代初頭までだった。時の流れを感じざるを得ない本である。読む前からわかってはいたが。
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