『山田方谷の世界』で歴史のイフを考えた2022年05月10日

『山田方谷の世界』(朝森要/岡山文庫/日本文教出版/2002.5)
 山田方谷の伝記を読んだのを機に、未読で積んであった方谷関連の本を片付ける気になり、次の文庫本を読んだ。

 『山田方谷の世界』(朝森要/岡山文庫/日本文教出版/2002.5)

 6年前に方谷関連の本をまてめ読みしたとき、この著者の『備中聖人 山田方谷』(山陽新聞社/1995.4)を読んだ。本書のあとがきには「(…)『備中聖人山田方谷』をかつて刊行したが、その後の研究成果の一端をまとめたものを今度本書として発表できたことは、望外の喜びである」とある。

 山田方谷に関する概説書なので前著との重複は多い。前著のコンパクトな改訂版のような本である。昔の本の記憶は消えかかっているので、方谷の事績をあらためて復習できた。

 本書(前著も同じ)を読んで不思議に感じたのは、板倉勝静の依頼で方谷が大政奉還の上奉文を書いたことに触れていない点だ。著者は「大政奉還は方谷にとっても驚愕であった」としている。著者は、方谷が上奉文を書いたとする史料の信憑性に疑念をいだいるのだろうか。あるいは、さほど重要性のない話とみなしているのかもしれない。

 本書で印象に残ったのは次のような記述である。

 「方谷は後年、「藩政の事に於いては、予が建言は大抵は用いられしも、天下の事に至りては一つも採用せられざりしを遺憾とす」と涙を流して語り、長歎息したと伝えられている。」

 また、幕命で榎本武揚らとともにオランダ留学した西周が、帰国後に京都で方谷に会った際の話に関する次の記述も印象深い。

 「西は、方谷が軍制その他表面を西洋風にしても内政の改革が伴わななければ効果をあげることが難しいから留意せよ、との言葉に嘆服して方谷を天下の豪傑と評し、もし、会津藩のような大藩に方谷がいたなら、幕府は安泰であったろうとまで言い切っている。(…)会津藩と譜代の松山藩との家格の違いもあったのであるから、もし方谷が会津藩にいたならば、あるいは方谷の献策が採用されて幕府の運命は変わっていたかもしれない。」

 方谷は、高杉晋作らが創設した奇兵隊のモデルになったとされる農兵制をいち早く松山藩で創設している。藩全体を豊かにする藩政改革とともに洋式兵制を取り入れた軍制改革もしているのだ。せんかたないことだが、方谷が幕府の財政・軍政の改革に取り組んでいればと、つい歴史のイフを考えてしまう。

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