「岩波講座 世界歴史」の第1巻『世界史とは何か』を読んだ2021年10月22日

『世界史とは何か(岩波講座 世界歴史01)』(小川幸司:責任編集、岩波書店)
 今秋、「岩波講座 世界歴史」の刊行が始まった。その第1巻『世界史とは何か』を何とか読了した。

 『世界史とは何か(岩波講座 世界歴史01)』(小川幸司:責任編集、岩波書店)

 この巻の「責任編集」小川幸司氏は、講座全体の編集委員の一人でもあり、私が今春読んだ『世界史との対話:70時間の歴史批評 (上) (中) (下) 』を書いた長野県の高校の世界史教師(現在は校長)である。「岩波講座」には学界の権威が選定・編纂した大学の講義録のような論文集というイメージがあり、高校の教師が編集委員に名を連ねているのは異例に思える。

 だが、考えてみれば大学に「世界史学科」はなく、世界史を教えているのは高校である。『世界史とは何か』と題する第1巻の編者が高校の世界史教師なのは当然なのだろう。

 今月(2021年10月)から刊行を始めた『岩波講座 世界歴史』(全24巻)は戦後3回目の刊行で、第1回目(全31巻)は1969年、第2回目(全29巻)は1997年に刊行を始めたそうだ。私は1969年には21歳、1997年には49歳で、当時『岩波講座 世界歴史』に何の関心もなかった。今回の『岩波講座 世界歴史』を読む気になったのは、年を取って歴史への関心が高まったからであり、多少の時間の余裕ができたせいでもある。

 ということで、第1巻の11編の論文と5編のコラムを読んだ。感染症、ジェンダー、環境社会学、高校の新たな必修教科「歴史総合」など論点は多岐にわたる。通常なら敬遠するであろう関心外のテーマや未知のテーマの文章も「世界史とは何か」を知るよすがになるだろうと、この機会に目を通した。

 巻頭論文「〈私たち〉の世界史へ」(小川幸司)が読み出があり印象深い。まさに「世界史とは何か」を模索していて、模索の苦闘は伝わってくる。「対話」をキーワードにした「世界史実践」という概念は何となくわかるものの、十全には把握できない。

 私にとって興味深かったのは「ヨーロッパの歴史認識をめぐる対立と相互理解」(吉岡潤)である。ポーランドの現代史を実例に、「ソ連規格」「民族の規格」「EU規格」という認識パターンを手掛かりに歴史認識の難しさを論じている。全人類がひとつの歴史認識を共有することは、おそらくあり得ない。それぞれが自他の歴史認識をどう認識するかが課題だろう。かなりやっかいな課題である。

 私の世界史への関心の一端は、これまで学んできた西欧中心史観の見直しにある。本書の各論文の執筆者たちにとって「西欧中心史観の見直し」は当然の前提になっているように思えた。と言っても、何故か「世界史」の未来に明るさを感じられない。本書を読んで、世界史への関心は未来を担う若い人々にこそ必須だと思った。しかし、わが身を顧みても、齢を重ねてやっと世界史を読む気になったのだから、過剰な期待はできない。困ったものだ。

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