オスマン帝国のイスラムは融通無碍で習合主義的だった2021年05月15日

『オスマン帝国:繁栄と衰亡の600年史』(小笠原弘幸/中公新書)
 先日読んだ 『オスマン帝国500年の平和』(林佳世子) の記憶が蒸発してしまう前にオスマン関係の本をもう1冊と思い、次の新書を読んだ。

 『オスマン帝国:繁栄と衰亡の600年史』(小笠原弘幸/中公新書)

 1974年生まれの若い(私に比べて)研究者が2018年に出した新書である。オビに「樫山純三賞受賞」とあり、未知の人名なので検索した。オンワード樫山の創業者の名で「国際的視野にたった社会有益な図書を表彰」する賞だとわかった。

 概説書を2冊読むと、これまであまり馴染みのなかったオスマン帝国のイメージがかなりくっきりしてきた。

 オスマン帝国には600年(14世紀~20世紀)の歴史があり、『オスマン帝国500年の平和』は18世紀までの500年を中心に描いていた。本書は600年の全史を次の四つの時代区分に沿って要領よく概説している。

 (1)封建的侯国の時代(1299年頃-1453年):《辺境の信仰戦士》
 (2)集権的帝国の時代(1453年-1574年):《君臨する「世界の王」》
 (3)分権的帝国の時代(1574年-1808年):《組織と党派のなかのスルタン》
 (4)近代帝国の時代(1808年-1922年):《専制と憲政下のスルタン=カリフ》

 この帝国にはオスマン1世に始まる36人のスルタンがいる。コンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世のような有名人もいれば、在位の短い無名のスルタンや無力な傀儡スルタンもいる。本書は歴代スルタン全員に言及し、その肖像画(近代は写真)も掲載している。私のような門外漢には親しみやすい記述スタイルである。

 オスマン帝国600年を大雑把に言えば、イスラム教以外にも寛容で多民族共生を謳歌していた帝国が、長い時間を経て、民族主義・国民国家の潮流によって解体していく歴史である。帝国主義が優れているわけではないが、歴史の悲哀と矛盾を感じる。

 オスマン帝国のイスラムは、もともと融通無碍で習合主義的性格をもっていた。クルアーン(コーラン)の文言より現実を優先させていたという指摘が興味深い。この帝国が長続きしたのには「柔構造」という要素があったのだ。

 そんな「柔らかいイスラム」への批判として台頭してくるのが厳格主義で、それはポピュリズム的手法を活用したという指摘が示唆に富んでいる。宗教意識は古代のものではない。近代になって宗教意識が強調されるのであり、「想像の共同体」というナショナリズムの発生に連動している(日本も同じ)。

 オスマン帝国600年の歴史を概観するだけで、人類の歴史の典型的な側面が見える気がする。