著者に三島が憑依したような『三島由紀夫・昭和の迷宮』(出口裕弘)2021年03月09日

『三島由紀夫・昭和の迷宮』(出口裕弘/新潮社/2002.10)
 澁澤龍彦の 『三島由紀夫おぼえがき』(中公文庫/1986.11) の巻末には著者と出口裕弘との対談があり、これが面白かった。その対談相手の次の三島本を読んだ。

 『三島由紀夫・昭和の迷宮』(出口裕弘/新潮社/2002.10)

 仏文学者・出口裕弘は澁澤龍彦と同学年の学生時代からの友人で、三島由紀夫とは4学年下のほぼ同世代である。

 本書によれば、著者はスジ金入りの三島ファンだ。初期作品(『仮面の告白』以前)からの読者で、バタイユの翻訳者として三島との接点もあり、澁澤龍彦を介して面識があった。だが、澁澤龍彦のように三島と親交があったわけではない。

 そんな著者による本書は、三島への愛と鋭い分析に満ちた、トーンの高い三島論である。評伝ではなく、三島が自死に至る過程を深く追究している。そして、自死に向かわざるを得なかった三島の宿命を解明している――私にはそう読めた。

 十五歳にして「わたしは夕な夕な/窓に立ち椿事を待つた」と詠った三島は、四十五歳にして、そこに回帰し、思いを遂げる。著者は、次のような、ある意味、身も蓋もない見解を提示している。

 《彼には幼年期にまで根差した凶変願望があった。他者破壊と見分けのつかない強烈な自己破壊衝動もあった。同性愛の特殊形態としての流血愛好は骨がらみのものだった。/最後はいずれ血の海だ。その血を、憂国の自決で浄めたい。流血の死を性的な変事に終わらせては末代までの名折れだ。家名にも取り返しのつかない傷がつく。男同士の情死を、「共に起って義のために死ぬ」「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬ」という栄誉の旗で包みたい。三島由紀夫は、四十歳を過ぎたある日ある時、そう決心したのだと思う。》

 著者は三島を貶めているのではない。感情移入しているのである。著者による『暁の寺』と『天人五衰』の読解には感心した。当初の構想からズレて変貌していくさまを見事に解明している。『豊穣の海』の、あのラストシーンを引用した後、著者は次のように書いている。

 《これでいい、という呟きが自然に出てくる。私としてはもうこれ以上、『天人五衰』についてよけいなことをあげずにすむ、と。》

 三島が著者に憑依したような文章だ。本書は、著者に取り憑いた三島の総括である。総括しても、謎がすべて消えたわけではないが…