『三島由紀夫おぼえがき』(澁澤龍彦)の蟹の話が面白い2021年02月23日

『三島由紀夫おぼえがき』(澁澤龍彦/中公文庫)
 ユルスナールの『三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン』を翻訳した澁澤龍彦の次の文庫本を読んだ。

 『三島由紀夫おぼえがき』(澁澤龍彦/中公文庫)

 三島に関するエッセイの集成で、三島生前のモノも死後のモノもあり、三島事件当日に執筆した追悼文やユルスナール本の訳者あとがきも収録されている。三島より3歳下の澁澤龍彦も、奥野健男と似た同世代意識で三島と親しく交わった文学者で、三島への共感も強かったようだ。

 著者が紹介している話で面白いのは、寺田透の意地悪な三島観である。蟹の話が特に面白い。三島は蟹嫌いで有名だった。三島と同席した座談会の席に小さな蟹のから揚げが出たとき、寺田透は三島の皿の分も含めてすべての蟹を食べてしまい、後に次のように書いている。

 「僕が食べちゃったのは気を利かしたからではなく、蟹を見るのがいやだとか好きだとか、愚にもつかない煩瑣なことで時間が失われるのを嫌ったまでである。大体蟹という字を見るさえぞっとするという三島氏の蟹ぎらいはどの位深刻なものだったのか。(中略)父君もいうように、見えなければそれですむ視覚の問題だったのだ。」

 この話の紹介に続いて、澁澤龍彦は次のような見解を述べている。

 《たぶん、三島氏は現実を総括的に正確に眺めようなどとは、一度として考えたことがなかったにちがいないのである。いわば蟹を通してしか、彼は現実と係り合おうとしなかった。(…)というのは、彼は死ぬまで、自分が現実に存在しているとは感じられず、自分の肉体的存在感を目ざめさせてくれるもののみを、ひたすら求めたらしいからである。》

 精神病学者の内藤健氏が 『金閣を焼かねばならぬ』 で、三島の宿痾は「離隔」だとしていたのに通じる指摘に思えた。