『イスラム世界』(前嶋信次)は局面描写を積み重ねた歴史概説本2021年01月29日

『イスラム世界(世界の歴史8)』(前嶋信次/河出書房新社)
 イスラム史を2冊(『イスラーム世界の興隆(中公版・世界の歴史8)』、『イスラーム帝国のジハード(講談社版・興亡の世界史)』)、続けて読んで頭がイスラム・モードになり、本棚に眠っていた類書も読むことにした。

 『イスラム世界(世界の歴史8)』(前嶋信次/河出書房新社)

 1968年刊行の古い本である。イラン革命の10年前、ムスリムが現代史の前面に登場する前の本だが、当時の直近ニュース・第3次中東戦争(1967年)に触れている。イスラム世界はこの戦争でイェルサレムを失った。

 本書は、ササン朝ペルシア(イスラム教成立以前の3世紀)から15世紀末のナスル朝(イベリア半島)滅亡までの千数百年を扱っている。著者は、この長大な歴史を網羅的な事象羅列ではなく、重要な局面を掘り下げた描写の積み重ねで描いている。重要挿話で語るイスラム史なので、読みやすくて面白い。

 本書は時として描写が講談調になり、それが楽しい。マホメットがメッカからメディナへ「聖遷(ヒジュラ)」する際のイスラム信者はムハージルーン(メッカからの移住者)とアンサール(メディナの援助者)から成る。このアンサールを「お味方衆」と表記しているのにしびれた。「健児」「風雲児」なんて言葉も出てくるし、次のような語り口もある。

 「(軍営都市のバスラは)いわば新開地であり、強悍で度しがたいアラブっ子が長剣をきらめかして闊歩しているところでもあった。」

 「このときの若い公子(ムアーウィヤの息子ヤジド)の武者ぶりはまことに颯爽たるもので、あっぱれアラブの若武者よ、とたたえられたとのことである。」

 ウマイヤ朝とアッバース朝を比較して、前者を「白衣・白旗に烈日がてりはえて、どこか陽気で野放図なところがある」、後者を「黒旗、黒衣で、なにか重苦しく、暗い影がつきまとう」と描写しているのも面白い。前者はアラブ人優位の「アラブ帝国」、後者は平等で寛容な「イスラム帝国」という漠然としたイメージがあったが、そのイメージの陰影が深くなった。

 もちろん、本書全般は講談ではなく、展望のいい歴史概説書である。大きな流れは、ローマとペルシアという2大文明の狭間に生れたイスラム世界が、両者の文明を吸収し発展させていく物語である。同時に、アラビア半島から東西にへ拡大していくイスラム世界のヘゲモニーが、アラブ族からイラン族へ、さらにトルコ族へとひきつがれ、この三大民族がもつれ合いながら時代が進行していく物語である。