中公新書の『マックス・ウェーバー』は現代視点の入門2020年10月19日

『マックス・ウェーバー:近代と格闘した思想家』(野口雅弘/中公新書/2020.5.25)
 岩波新書の『マックス・ヴェーバー』に続いて、発行日が5日後の中公新書の『マックス・ウェーバー』を読んだ。

 『マックス・ウェーバー:近代と格闘した思想家』(野口雅弘/中公新書/2020.5.25)

 著者は1969年生まれの研究者で、講談社学術文庫の『仕事としての学問 仕事としての政治』の翻訳者でもある。書店でこの文庫本を目にしたとき、従来の「職業としての学問」「職業としての政治」より明快な標題の訳に感心した記憶がある。

 本書は目配りのいいウェーバー入門書である。ウェーバーの著作の現代視点での批判的読解もわかりやすい。面白さは、岩波新書の『マックス・ヴェーバー』と甲乙つけがたい。読む順番は、オーソドックスなこちらを先にして、岩波新書を後にした方が楽しめたと思う。

 本書には現代の話題への言及が随所にある。中国の監視社会、霞が関の「忖度」、グローバル化、ポピュリズム、コロナなどなどだ。難解なウェーバーを身近にする工夫だろうが、ときにウェーバーの言説と著者の主張が混じり合っているように感じた。

 また、本書にはウェーバー以外の多彩な論者を援用した記述が多い。登場するのは、プラトン、レンブラント、ミル、トルストイ、イプセン、森鴎外、リップマン、カフカ、リルケ、トーマス・マンなどなどである。そんな箇所は目先が変化して面白く、興味深く読むことができた。と同時に、やや衒学的で牽強付会とも感じた。この点について、著者は「あとがき」で自覚的な仕掛けだと弁明していて、納得できた。

 ウェーバーがフライブルク大学の教授からハイデルブルク大学の教授に転身した直後に父親が客死し、ウェーバーは体調不良に悩まされるようになる。岩波新書はこれを「神経衰弱」としていた。本書では「心の病」と表現している。同じ状態の説明でも印象が異なり、人物のイメージも少し違ってくる。岩波新著の著者より本書の著者の方がウェーバーに同情的に思える。

 岩波新書の『マックス・ヴェーバー』の終章は「マックス・ヴェーバーとアドルフ・ヒトラー」だったが、本書終盤には「反動の予言――ウェーバーとナチズム」という章があり、「ウェーバーはヒトラー登場の露払い」説を紹介したうえで、著者は次のように述べている。

 「ウェーバーに好意的な論者は、もし彼がもう少し長生きして、ヒトラーの独裁を目の当たりにしたら、徹底的に抵抗したことだろう、という言い方をすることが多い。そして私も基本的にこれに近い考えをもっている。しかし、たとえそうだとしても。第一次世界大戦後の新しい政治レジームを構想しているときのウェーバーがかなり危なっかしいということは、否定できないだろう。」

 本書の終章は「マックス・ウェーバーの日本」である。本書で初めて知ったのだが、ウェーバーの著作が最も熱心に読まれているのは日本である。ドイツで全集の刊行が始まったとき、注文の三分の二は日本からだったそうだ。ウェーバーは、生国のドイツや欧米より日本で多くの人に読まれ、深く研究されているのだ。ウェーバーが西洋中心思想の人だけに。不思議な現象だと思う。

 そんな事情を解明しているのが本書の終章である。「マックス・ウェーバーのテクストとそれをめぐって日本でなされてきたウェーバーに関する研究が、近年、急速に色あせてきたことは、おそらく当然の帰結である」としたうえで、著者は現代の課題に取り組むためにウェーバーを読むことの新たな意義を提示している――ように思える。

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