『あの本は読まれているか』は地味なスパイ小説2020年06月20日

『あの本は読まれているか』(ラーラ・プレスコット/吉澤康子訳/東京創元社)
 パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』出版を巡る小説を読んだ。

 『あの本は読まれているか』(ラーラ・プレスコット/吉澤康子訳/東京創元社)

 五木寛之の傑作『蒼ざめた馬』のような小説と思って読み始めたが、かなり趣が違った。CIAで働く女性たちやパステルナークの愛人を巡る話だが、派手なスパイ小説ではない。地味な「お仕事」小説に近い。

 私は半世紀以上昔の学生時代、ロシア文学をある程度は読んだが、パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』は未読で、映画を観ただけだ。ソ連当局によってノーベル文学賞の辞退を強いられたこの有名作を読んでいないのは、1960年代後半の私の学生時代、この作品への食指が動かなかったからだと思う。古書店で目にする『ドクトル・ジバゴ』は時事通信の記者(原子林二郎)が翻訳して時事通信社が発行したもので、高名な文芸出版社やロシア文学者による翻訳書はなかった。

 日本のロシア文学の世界で『ドクトル・ジバゴ』は冷遇されているように見えるのは、当時、ソ連に対する遠慮があったせいだろうか。パステルナークは19世紀の大作家たちと20世紀のソルジェニツインの狭間に埋没させられているように見え、その評価はよくわからない。1980年代になって江川卓訳の『ドクトル・ジバゴ』が出て新潮文庫にも収録されたらしいが、いまでは入手困難である。

 『あの本は読まれているか』の原題は『The Secret We Kept』(わたしたちが守った秘密)で、「わたしたち」はCIAでタイピストとして採用された女性たち(みな大卒の高学歴者)を指す。本書は全28章にプロローグとエピローグの構成で、プロローグとエピローグは一人称複数「わたしたち=タイピストたち」で書かれた21世紀時点での回想である。本文は1949年から1961年までの東(パステルナーク周辺)と西(CIA周辺)の物語が交互に描かれている。ほとんどの章が女性の一人称で、語り手は章ごとに交代する。パステルナーク視点の章だけが三人称になっている。凝った構成である。

 本書は多くの歴史文書をベースに1950年代のCIAやパステルナークの様子の再現を試みたフィクションであり、魅力的な人物も登場するが、特定の主人公が存在しない現代史物語になっている。

 著者の名「ラーラ」は『ドクトル・ジバゴ』のヒロインと同じで、母親が映画『ドクトル・ジバゴ』を観て名付けたそうだ。著者にとっての運命的な作品である。

 現代日本において「あの本は読まれれているか」と問うなら、ほとんど読まれていないと思われる。本書刊行を機に『ドクトル・ジバゴ』が復刊されれば、私も読むかもしれない。

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