人類の未来を考察した『ホモ・デウス』2020年05月29日

『ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来(上)(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳/河出書房新社)
 ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を読み、歴史をマクロに俯瞰・整理して捉える手法に感心したのは3年前の2017年7月だった。

 その後、人類の未来がテーマの『ホモ・デウス』が刊行されたが食指は動かなかった。すでに『サピエンス全史』末尾で未来展望は描かれているので、あれで十分と思った。私は著者の未来展望にはさほど共感せず、ひとつの見方と感じていた。

 だが、家人の書架に『ホモ・デウス』があるのを発見し、つい読んでしまった。

 『ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来(上)(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳/河出書房新社)

 この本、カバーがいやにゴワゴワする思ったら、驚いたことにカバーが2枚重ねになっていた。通常のカバーの上にゴーギャンの絵のカバーがあり、その隅に「期間限定特別帯」とある。カバーでなくオビという位置づけのようだ。

 ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」は『サピエンス全史』を読んだときに私も連想した言葉である。ハラリの著書に合っているとは思うが、本書にゴーギャンへの言及はない。

 『ホモ・デウス』は、私が想像した以上に『サピエンス全史』との重複感があり、私が想像したように人類の未来の姿をあれこれ描いてはいなかった。『サピエンス全史』を敷衍したうえで今後の課題を提示した本である。私には、やはり『サピエンス全史』の方が面白かった。

 本書は歴史書でも未来予測でもなく、社会学、生命科学、コンピュータ・サイエンスなどをベースに、人類の今後を考察している。著者はアナロジーの達人で、物事をマクロにざっくりと捉えて単純明快な形に整理するのが巧みである。それが著者の魅力だが、あたりまえのことを延々とたとえ話のくり返しで聞かされている気分になるときもある。

 本書で面白かったのは、人間の「自由意思」への懐疑の提示である。それとも関連した「知能と意識」に関する考察も興味深い。昨年読んだ『脳の意識 機械の意識:脳神経科学の挑戦』(渡辺正峰/中公新書)を連想した。

 また、本書で衝撃的な箇所は冒頭に近い妊娠ブタの飼育場の写真かもしれない。ほとんど身動きできない環境で飼育されるブタの知能を検討する場面である。それは、将来、ホモ・デウスに支配されたホモ・サピエンスの姿のひとつの可能性を暗示している。

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