デフォーの『ペスト』は迫真の実録風小説2020年05月22日

『ペスト』(ダニエル・デフォー/平井正穂訳/中公文庫
 デフォーの『ロビンソン・クルーソー』完訳版(平井正穂訳)を読んだのは11年前――その時は、将来デフォーの別の作品を読むだろうとは想像しなかったが、このたび、デフォーの『ペスト』を読んだ。コロナ禍がなければ手に取ることはなかった本である。

 『ペスト』(ダニエル・デフォー/平井正穂訳/中公文庫)

 コロナ禍で増刷された文庫本である。最近の新聞記事に「カミュの『ペスト』は架空の話だが、デフォーの『ペスト』はロンドンで発生したペストの実録なので迫力が違う」といったこと書いているのを読んで(切り抜いてないので正確な内容は確認できない)、本書を読む気になった。

 原題は「A Journal of the Plague Year」である(平井氏によれば『ペスト年代記』)。そのペストの年(Plague Year)とは1665年、日本だと4代目の将軍家綱の時代、元禄時代の前、赤穂浪士討ち入りの38年前である。この年、ロンドンではペストが発生し多くの死者(ロンドンの人口の四分の一と言われている)が出た。その記録が本書である。

 オランダでペストがはやりだしたとのうわさを聞く話から始まり、それがロンドンにも伝播し、ロンドンの街を席巻し、1年余の後に終息するまでの見聞録である。統計数字が随所に折り込まれていて、筆者が実見した話に加えて人から聞いた話もたくさん折り込まれている。確かに迫真のレポートである。

 私は本書をノンフクションと思って読み初め、そう思ったまま最後まで読んだ。ロンドンの地図のコピーを脇に置き、マーカーで地名をチェックしながら読んだのである。読了してから、本書は小説だと気づいた。

 冒頭に、筆者が馬具商人とあったので、デフォーは商売のかたわら『ロビンソン・クルーソー』を書いたのかと思った。読書途中、ネットでデフォーの生年を調べると1660年になっていて、「ペストの年=1965年」にはまだ5歳なのでヘンだと感じたが、昔の人の生年記録はいいかげんで、ネットの記述が間違っているのだろうと思った。読了後にきちんと調べようと考えた。本書の末尾には、著者の短い詩が載っていて、そこには「H.F.」と署名してある。なぜ、「D.D.(ダニエル・デフォー)」でないのか、いぶかしく思った。

 本編を読み終えて、巻末の訳者解説を読んで本書がフィクションだと知った。解説には「デフォーは、この惨事の生じた年には、わずか5歳であり、どれほどの印象をもっていたかは明らかではないが、少年ないし青年のころ、体験者からその状況を委細にわたって聞いてことは間違いない。」とある。

 ノンフィクションの体裁のフィクションは山ほどあるが、これまでの読書体験で、フィクションをノンフィクションと思って読了したのは初めてだと思う。先の新聞記事の印象で、はなからノンフィクションと勘違いしてしまったのだ。早トチリである。作者が事実を詳細に調べあげて書いていて、実録と見まがう仕上がりになっているので、最後までダマされたとも言える。

 本書を読んでいて引き込まれたのは、ペストが蔓延していく中でのあれやこれやの描写がことごとく今日のコロナの状況に重なるからである。仮にコロナ禍の前に本書を読んでいたら、目の前に展開されていく状況はデフォーが『ペスト』で描いたことをなぞっているように感じたかもしれない。

 デフォーは自分の5歳の時の出来事をタネに、後年に取材を重ねてこの傑作フィクションを書いた。これをフィクションと知った私には、この小説は、現在のコロナ禍を体験した人が1665年の出来事に仮託して書いたもののようにも見えてくる。