ウイルスで人類滅亡の『復活の日』を再読2020年05月02日

『人類滅亡戦:見えざるCBR兵器』(加藤地三/サラリーマン・ブックス//読売新聞社)、『復活の日』(小松左京/日本SFシリーズ1/早川書房)
 コロナ禍のなか小松左京の『復活の日』が注目され、増刷された角川文庫版が書店に並んでる。私はこの小説を半世紀以上昔の高校1年のときにリアルタイムで読み、非常に感動した。その後も何度か拾い読みしているし、映画は封切で観て、DVDも購入して繰り返し観ている。

 内容はかなり頭に残っているが、この機に再読したくなった。再読するなら『人類滅亡戦』(加藤地三)と併読しようと思った。

 『人類滅亡戦:見えざるCBR兵器』(加藤地三/サラリーマン・ブックス/1963.3.1/読売新聞社)
 『復活の日』(小松左京/日本SFシリーズ1/1964.8.31/早川書房)

 まず前者を読み、続けて後者を読んだ。『復活の日』の「あとがき」は次の一節で結ばれている。

 「なお、細菌戦の知識に関しては、読売新聞社加藤地三氏の著書「人類絶滅戦――見えざるCBR兵器」(サラリーマンブックス)を参考にさせていただく所が大きかった。――むしろ、同書にあらわれた、氏の情熱につき動かされた点も多い。執筆中、のぞみながらついに拝顔の機会にめぐまれなかったが、同氏とその著書に、心からの謝意を表しておきたい。」

 この「あとがき」が記憶にあったので、『復活の日』を読んだ後に古本屋で『人類滅亡戦』を見つけて購入し、拾い読みした。半世紀以上昔のことである。『復活の日』再読にあたり、『人類滅亡戦』が小説にどう影響しているか検証してみるのも一興と思った(小松左京は『人類滅亡戦』を『人類絶滅戦』と誤記していて、最新の角川文庫版もそのまま)。

 1964年8月刊行の『復活の日』は小松左京33歳のときの長編第2作(第1作は同じ1964年の3月刊行の『日本アパッチ族』)である。『人類滅亡戦』の著者である加藤地三は読売新聞の科学記者で小松左京より8歳年上だ。私が確認できた範囲では、小松左京の加藤地三への言及はこの「あとがき」だけなので、小説刊行後、小松左京が加藤地三と面談したかどうかはわからない。

 1960年代の冷戦期に書かれた『人類滅亡戦』は化学兵器(C)、生物兵器(B)、放射線兵器(R)の歴史と現状を解説し、その危険性を警告した本で、科学技術の解説書ではない。日本の731部隊の細菌兵器開発や朝鮮戦争における米軍の細菌兵器使用などに言及し、科学者たちが生物化学兵器開発の禁止を呼び掛けたパグウォッシュ会議などの活動も取り上げている。

 『復活の日』のなかの記述には『人類滅亡戦』によるものだと推察できる箇所がいくつかあった。それは、米軍の細菌兵器使用やパグウォッシュ会議などに関する部分である。

 高校生のときに『復活の日』を読んで感じたのは、細菌やウイルスに関する話がゴチャゴチャと難解だということであり、小松左京は何でこんなに詳しいのだろうと思った。『人類滅亡戦』には小説のヒントになるような生物学的詳細情報はない。再読のときも、あの蘊蓄部分について行くのは大変だった。

 この小説の設定は現代の科学者からも次のように高く評価されている。

 「物語のカギとなる生物兵器の詳細が実に正確な科学考証に基づき設定されている(…)1964年にはまだ発見されていなかった生物学的特性までもが、すでに予見されて描きこまれている場合すらあり驚かされる。現代の科学者にとっても必読の書である。」(「『復活の日』から読み解くバイオロジー」下村健寿・オックスフォード大学生物学研究室研究員・医学博士/小松左京マガジン33号 2009.4)

 『小松左京自伝』によれば、アメリカ文化センター・京都府立医大の図書館・近所の図書館などで、海外の科学雑誌の論文や医学書や百科事典などを読んで勉強したそうだ。当時、小松左京はまだ海外へ行ったことはなく、ネットもなかった。たいしたものだ。

 初読のとき、この小説のプロローグとエピローグに惹かれた。プロローグはカッコいいハードボイルドの雰囲気だと記憶していたが、再読してみて晦渋な考察が述べられているのが意外だった。高校生には、それもカッコよく感じられたのだろうか。この小説には宇宙・生物・人類などをやや哲学的に語る箇所も多い。いま読み返すと、長編2作目の33歳の時点で「小松左京の思想」がほとんど形づくられていたと思える。

 東日本震災の直後には『日本沈没』を再読し、コロナ禍で『復活の日』を再読した。次は――などとは考えたくない。