『ちくま文学の森・恐ろしい話』はどの程度恐ろしいか?2020年04月22日

『恐ろしい話』(ちくま文学の森7/筑摩書房)
 1988年から1989年にかけて筑摩書房から「ちくま文学の森」という叢書が出た。全15巻+別巻のアンソロジーで、編者は安野光雅、池内紀、井上ひさし、森毅の四氏だった。わが家の書架にはこの全16巻がある。私が入手したのではなく、家人が刊行時に購入したものである。パラパラと何編かは拾い読みしたが、30年以上書架の奥に眠っていた。二度の引っ越しの際にも処分しなかったのは、読みやすそうな短篇の選集なので老後の消閑に手頃と思ったからだが、考えてみればすでに私は71歳、立派な老後である。まずは次の1冊を読んだ。

 『恐ろしい話』(ちくま文学の森7/筑摩書房)

 この巻には24編が収録されている。実は消閑気分になって本書を読んだわけではなく、たまたま『幾たびもDIARY』(筒井康隆)を拾い読みしていて、筒井氏の1988年7月11日の日記の次の一節が目に入ったからである。

 「上京。ひかり車中で今評判の『ちくま文学の森・恐ろしい話』(筑摩書房)を読むが、ほとんど前に読んだ作品ばかりであった。編集した人たちが優秀であるだけに、間違いのないアンソロジイになっているが、それだけに驚きがない。アンソロジイの限界というべきか」

 これを読んで、『恐ろしい話』を引っ張り出してきて、私の既読作品があるかどうか確認してみると、「ひかりごけ」(武田泰淳)以外は読んだ記憶のない作品だった。で、本書を引っ張り出したのを機に、全24編を読んだ。24編中の7編は日本の作品(田中貢太郎、志賀直哉、菊池寛、岡本綺堂、夢野久作、木々高太郎、武田泰淳)で他は翻訳である。19世紀の作品が多い。

 全24編を読み終えて、「それほど恐ろしくはなかったな」と思った。私の感性が鈍いということもあるが、「恐ろしい話」というタイトルに身構えて、恐ろしさへの期待値が高まったせいだと思う。多くの作品にクラシックの風情があり、それなりの味わいがあり、そこにある「恐ろしさ」もクラシックな気分で鑑賞できてしまう――それは心底からの恐怖とは少し違う。初読にもかかわらず、筒井氏が言う「間違いのない(…)それだけに驚きがない」がわかる気がした。

 とは言っても、このアンソロジーによって至福の読書時間をもてたのは確かであり、古今東西の短篇のよりすぐりを集成したこの叢書の他の巻も読みたくなった。

 この巻で私が面白いと思ったのは「詩人のナプキン」(アポリネール)、「断頭台の秘密」(リラダン)、「三浦右衛門の最後」(菊池寛)、「ひかりごけ」(武田泰淳)である。

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