ついクセになり内田百閒の作品集もう一冊読んだ2020年03月15日

『サラサーテの盤』(内田百閒/福武文庫/福武書店)
 『内田百閒』(ちくま日本文学001)を読んだのを機に30年前に購入した次の文庫本も読んだ。

 『サラサーテの盤』(内田百閒/福武文庫/福武書店)

 いまはなき福武文庫の1冊で、短篇小説21編を収録している。購入時に表題作を読んだのは確かだが、他の作品は読んでないような気がして、この古い文庫本を引っ張り出したのである。

 先にに読んだ「ちくま日本文学」とは「サラサーテの盤」「東京日記」の2編が重複していて、他の19編は初読である(と思う)。

 やはり、内田百閒は変な作家である。すべての作品は一人称の文体で、随筆風に綴っているものも多い。だから「私」をつい作者に重ねて見てしまう。ところが、この「私」が曲者である。

 作中人物の中で最も妖しい人物が「私」のように思える作品も多い。「私」が他の登場人物の不可思議な言動を語っていても、それは、語り手である「私」の見方や感じ方がゆがんでいるのであって、「私」にはまともな人物の普通の言動を奇矯なものに変換してしまう特殊な能力があるのではと思えてくる。

 この作品集には「虎」や「雨」が夢幻的に登場する。また、「大震災」や「スペイン風邪」が日常の背景にサラリと語られている。それらとても印象的でドキリとさせられる。