上映時間7時間18分の『サタンタンゴ』を観た2019年10月15日

 渋谷のシアター・イメージフォーラムという小さな映画館で『サタンタンゴ』(監督:タル・ベーラ)を観た。上映時間7時間18分の映画である。上映開始が12時30分、途中に10分と30分の2回の休憩をはさんで8時30分終了という長丁場だった。

 このハンガリー映画は25年前の作品だが日本では初公開である。タル・ベーラ監督は上映を機に先月来日している。新聞の映画評によって、このモノクロ大長編映画が黙示録的な独特の世界を描いているらしいと予感し、普通ではない映画を観るという覚悟をもって上映にのぞんだ。

 夜8時30分、映画を観終えて「えっ、これで終わりか」と思った。腰が少し痛くなったが、長さはあまり感じなかった。情景描写が多いがストーリーのある映画である。劇中の時間経過は数日である。数日の話を描いた長編『カラマーゾフの兄弟』と同様に作品の中に時間が圧縮されている。

 この映画の終幕には、大河小説の幕が下りるような感慨や、複雑な謎が解明されるような爽快感はない。この世界はどうなっていくのだろうという宙ぶらりんな懸念のまま、冒頭の情景に戻るような形で終わる。それは「始まり」のような「終わり」である。

 長回しを多用したこの映画の映像は独特である。降り続く雨、泥でぬかるんだ大地、果てしなく道を歩き続ける人間、牛の群れ、馬の群れ、酒場で酔いつぶれるまでダンスに興じる人々、廃墟のベランダから周囲を睥睨するふくろう……そんな夢の中のような映像がいつまでも印象に残る。

 この映画の後半にはキリストのような風貌の詐欺師が登場する。キリストの肖像が残っているわけではないので、私が勝手に抱いているキリストの風貌に似た男である。この男の巧みな弁舌によって、村人たちはハーメルンの笛吹き男に連れ去られた子供たちのようにさまよい始める。

 観客からは明らかに詐欺師に見えるのに、それなりの存在感のある登場人物たちは容易に欺かれる。映画が描く不思議な異世界と現実世界を結ぶ寓意がそこにあると感じた。