独ソ戦の検討・検証の意義を知った2019年09月03日

『独ソ戦:絶滅戦争の惨禍』(大木毅/岩波新書)
 私がヒトラーやナチスの歴史に惹かれるのは、普通の人々を巻き込んでいった現代の大きな歴史変動の実態を知りたいと思うからであり、戦史にさほど関心があるわけではない。だから、次の新書を書店の店頭で見かけたとき、購入するかどうか少し迷った。

 『独ソ戦:絶滅戦争の惨禍』(大木毅/岩波新書)

 だが、立ち読みで「はじめに」に目を通し、迷いは消えた。ぜひ読もうと思った。

 著者は、一般の日本人の独ソ戦についての知識がゆがめられているのではないかとの危惧を表明し、「ソ連崩壊によって、史料公開や事実の発見が進み、欧米の独ソ戦研究は飛躍的に進んだ。日本との理解・認識のギャップは、いまや看過しがたいほどに広がっている。」と懸念している。そして、本書の目的を「現在のところ、独ソ戦に関して、史実として確定していることは何か、定説とされている解釈はどのようなものか、どこに議論の余地があるのかを伝える、いわば独ソ戦研究の現状報告を行うこと」と述べている。

 戦後になってからのドイツ国防軍の幹部たちの証言が、不都合な事をヒトラーや親衛隊のせいにする傾向にあることは私も感じていた。本書は「ドイツ陸軍の参謀たちは、ヒトラーが開戦を決意する以前からソ連侵攻の準備を進めていた」と明らかにしている。そして、ヒトラーと同様にソ連の軍事力を過少評価し、楽観的な見通しで戦争に臨んだとしている。

 私は本書によって初めてソ連の作戦能力の高さを知った。スターリンが多くの有能な軍人を粛清したにもかかわらず、ソ連では「作戦術」が周到に研究されていたそうだ。ヴェトナム戦争に敗北したアメリカが、このソ連の作戦術に注目し、その作戦術が今日のアメリカ軍にも大きな影響を与えているという話には驚いた。

 独ソ戦の末期、ワルシャ近郊に迫っていたソ連軍はワルシャ蜂起を決行したポーランド国内軍を見捨てた。これはソ連の冷徹な政治判断だと思っていたが、兵站の限界に達したソ連軍はポーランド支援ができなかったという説もあり、「この問題をめぐる論争は、今なお継続中であり、決着はついていない」そうだ。同時代につながる現代史の解明の難しさを感じる。

 本書によってあらためて認識したのは、独ソ戦の惨禍のケタ違いの大きさである。独ソ戦は戦争目的を達成したのち講和で終結する「通常戦争」ではなく、「収奪戦争」「世界観戦争(絶滅戦争)」が複合した戦争だった。だから、史上空前の殺戮と惨禍をもたらしたのである。現代の戦争を考えるうえで独ソ戦の検討と検証は大いに意義があると認識した。

コメント

_ 通りすがり ― 2019年09月06日 22時13分

後世の人たちは、「21世紀の初頭、インターネットの発達が世界中にポピュリズムの台頭をもたらした」と歴史に書くのではないかと暗い気持ちになっています。今、自分たちのアタマを冷静に保つためには、ヒトラー時代の空気を冷静に分析する必要があると思っています。私も読んでみようと思います。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
ウサギとカメ、勝ったのどっち?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://dark.asablo.jp/blog/2019/09/03/9149075/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。