佐藤優氏の『国家の罠』には観劇的な面白さがある2019年05月11日

『国家の罠:外務省のラスプーチンと呼ばれて』(佐藤優/新潮文庫)
 佐藤優氏は大量の本を書いている。その何冊かは読んだことがあり、情報や諜報に長けた知識人だとは認識している。彼の「デビュー作」である『国家の罠』は未読だった。それを今回読んだ。

 『国家の罠:外務省のラスプーチンと呼ばれて』(佐藤優/新潮文庫)

 単行本刊行は14年前、その2年後には文庫化されている。本書の存在は刊行時から知っていたが、タイトルだけで内容が推測できるような気がして敬遠していた。それを読む気になったのは2カ月ほど前に、佐藤氏が高校時代に東欧・ソ連を個人旅行した記録『十五の夏』を読んだからである。この高校生がどんな経緯で「起訴休職外務事務官」となったかに興味がわいた。

 『国家の罠』は自らが体験した国策捜査の実態と自分を切り捨てた外務省の実情を述べた本であり、概ね私の予感したような内容だった。思ったほどに告発調ではなく坦々と自身の体験と見解を「歴史の証言」として語り、2030年には関連文書が公開されるので、そのときに自分が正しいと明らかになるだろうとしている。その自信が見事である。

 予感した以上に面白かったのは、著者と検察官とのやりとりである。著者が誠実な検察官をリスペクトとしているので、奇妙な悲喜劇のようなシーンが繰り広げられている。

 佐藤優氏の本は面白いのだが自画自賛的な記述が多いのは少し辟易する。検察官が著者に対して述べる「格好つけている。もう、面倒なんだから」というセリフに共感したくなる。

 ラスト近くの法廷での最終陳述は圧巻である。ヘーゲルの『精神現象学』から説き起こし、ケインズやハイエクを援用しつつ国策捜査を解読し、おのれの無罪を主張している。評論としては実に面白いが、裁判官は辟易したのではなかろうか。もちろん、このやや衒学的な最終陳述に裁判官が説得されるわけではない。しかし、法廷という舞台で展開される芝居としては、なかなかの名場面である。