佐藤優氏の『十五の夏』は分厚すぎる2019年03月25日

『十五の夏(上)(下)』(佐藤優/幻冬社)
 佐藤優氏の『十五の夏(上)(下)』(幻冬社)を読んだ。佐藤氏が高校1年の夏休みに東欧・ソ連を個人旅行した記録である。表紙の写真が若い。

 この旅行記、上下2冊で870ページあり、読者をたじろがせる分厚さだが、読み始めると一気に読まされてしまった。でも、やはり長すぎる。面白いのだが、確信犯的な関連隣接話への脱線気味の入れ込みや重複も多くやや冗長である。

 著者が高校1年だったのは1975年、この旅行記が雑誌に連載されたのは2009年から2017年、本書刊行は2018年である。三十数年前の旅行を語った文章なのだが、それにしては内容が詳細で臨場感がある。旅先で出会った人々との会話や日々の食事内容などが細かく語られている。著者の記憶力が抜群で、記憶に刻印される体験だったとは思うが、旅行当時に詳細な日誌やメモを残していたと推察される。

 もしかしたら、本書のベースとなる原稿は1975年の時点ですでに形になっていたのかもしれない。仮に当時、高校1年生の旅行記として出版されていればどうだったろうと想像してみた。小田実の『何でも見てやろう』のようなベストセラーになったかもしれないし、単なる観光旅行記として無視されたとも思える。

 1975年頃は海外旅行はまだ一般的でなかったから、著者の体験が稀有だったのは確かである。だが、本書にも登場する五木寛之のデビュー作『さらばモスクワ愚連隊』の刊行が1967年で、その8年後だから、あの頃はソ連や東欧への冒険旅行をする若者がかなり増えていたはずで、突出した体験記にはなり得なかったようにも思える。

 佐藤優氏が高校1年だった三十数年前の旅行記を21世紀になって刊行したのは、「海外雄飛」志向が弱まりつつある現代の若者へのメッセージのように思える。中年になってから本にしたせいか『十五の夏』には教養小説の趣がある。だからこそ、現代の中高生に読ませるには半分ぐらいの分量に凝縮した1冊の「教養小説」にすべきだったと思われる。