キリスト教を相対化した歴史書2019年03月18日

『「私たちの世界」がキリスト教になったとき:コンスタンティヌスという男』(ポール・ヴェーヌ/西永良成訳/岩波書店)
 先日読んだ本村凌二氏の『教養としてのローマ史の読み方』に次の記述があった。

 「フランスを代表する歴史家ポール・ヴェーヌは、著書『「私たちの世界」がキリスト教になったとき――コンスタンティヌスという男』(岩波書店)の中で、次のような疑問を投げかけています。/「もしユリアヌスがあと20年間生きていたら、本当にキリスト教があれだけ普及しただろうか」」

 辻邦生の『背教者ユリアヌス』を読んで以来、31歳で戦死したこの皇帝に関心があり、この一節を読んで本書を読みたくなった。ポール・ヴェーヌという1930年生まれの歴史家は私には未知の人である。本書の原著は2007年、訳書は2010年に刊行されている。

 読み始めてすぐに面食らった。第1章のタイトルは「人類の救世主コンスタンティヌス」である。キリスト教がローマの多神教に比べていかに優れていたか、そのキリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝はいかに敬虔で真面目で気宇壮大なキリスト教信者であったかを述べている。

 キリスト教を公認したミラノ勅令で高名なコンスタンティヌス大帝だが、私にはあまりいいイメージはない。辻邦生の『背教者ユリアヌス』には、ユリアヌスの叔父がコンスタンティヌスについて次のように語る場面がある。

「コンスタンティンヌスに関するかぎり、すべてが悪だ。(…)あの男は、野心のためとなると、なんでもやる。妻も殺せば子も殺す。友人を裏切れば親だって売りとばす。面とむかっては、白い歯を出して、無邪気そのもという顔をして笑うが、くるりと後を振りかえるだけで、すでに残忍な殺意で顔がゆがむのだ。」

 小説の一登場人物の科白ではあるが、さんざんな言われようである。

 ポール・ヴェーヌもコンスタンティヌスは「厚顔無恥な計略家」「迷信家」「ただ計算によってのみキリスト教徒になった軍人にして粗暴な政治家」と言われてきたと述べている。そんな従来のコンスタンティヌス像を転換しているのが本書である。

 キリスト教とコンスタンティヌス大帝を賞賛するように思える記述にやや興ざめ気分になったが、著者はキリスト教徒ではないとの紹介があったので読み続けると、次第に面白くなってきた。

 著者はコンスタンティヌスのキリスト教への改宗や信仰は本物であるとしつつも、それを彼の個人的事情に帰し、その原因は不明だとしている。当時のローマ人の大部分は異教徒(非キリスト教)で、キリスト教は一部の人のみが理解できる「前衛」思想だった。コンスタンティヌスは異教を軽蔑したが排斥したわけではない。

 著者はコンスタンティヌスをレーニンやトロッキーと同種の、自身の思想を信じることができた革命家だとし、その後継者たちは日和見的・保身的にそれを受け継いだだけで、信念や信仰を受け継いだわけではないとしている。面白い見解である。

 コンスタンティヌス後、ユリアヌスによって従来の宗教が復活するも、ユリアヌスの死によってキリスト教が復活する。私には、その事情がわかりにくかったが、著者はその事情を解説したうえで「どっちにころんでもおかしくなかった」としている。明解で納得できた。

 キリスト教が世界宗教になったのは、「神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ」と神とカエサルを峻別するのではなく「〈神〉がカエサルに重くのしかかった」からである、という見解は説得的だ。下からの布教ではなく上からの布教というイメージは新鮮である。

 そして最終章で、著者は「ヨーロッパはキリスト教の根をもっている」という考えをきっぱりと否定している。キリスト教を相対化した興味深い見解である。