『峠の群像』は「忠臣蔵」を相対化した忠臣蔵2019年02月20日

『峠の群像(上)(中)(下)』(堺屋太一/日本放送出版協会)
◎塩田つながりで手を出した

 堺屋太一氏の告別式を報じるTVニュースを観ていて、本棚の奥で未読のまま眠っている『峠の群像』を思い出し、つい読み始めて、全3巻を一気に読んでしまった。予感していた以上に面白かった。

 『峠の群像(上)(中)(下)』(堺屋太一/日本放送出版協会)

 『峠の群像』は忠臣蔵の物語で1982年(37年前!)のNHK大河ドラマの原作である。私はこのドラマを見ていない。松の廊下の刃傷の原因を製塩業をめぐる確執としていると聞いたことはあった。

 「松の廊下の刃傷は原因不明」が歴史学者の共通認識のようだが、製塩が刃傷の原因にはなり得ないという見解(赤穂と吉良の製塩は競合しない)を読んで納得したことがある。そんなこともあり『峠の群像』に食指が動かなかった。

 それを読む気になったのは、つい最近読んだ『始祖鳥記』(飯嶋和一)で江戸時代の製塩業の世界に接し、塩田つながりで頭のアンテナが反応したのかもしれない。

◎元禄の転換期を描出した経済小説

 『始祖鳥記』の舞台でもある岡山県の塩田は私の原風景のひとつである。私が小学校(玉野市の第二日比小学校)に入学した頃(1954年)、校庭の先は入浜式の塩田だった。それが流下式の塩田に替わり、いつの間にか塩田はなくなり埋め立て地になった。「入浜式」から「硫下式」への外形的な変化は子供の目に印象的だった。

 だから『峠の群像』で次の記述に出会って、遠い昔の風景がよみがえった。

 「入浜塩田の最初のものは、正保三年浅野長直によって造成された赤穂御崎新浜であったとされている。(…)それ以降三百年間、昭和二十年代末に流下式が普及するまで日本の塩田は基本的に変わっていない。」

 『峠の群像』は忠臣蔵物語ではあるが、製塩業に焦点をあてた江戸経済小説でもある。

 全3巻の小説で、松の廊下の刃傷が発生するのは3巻目になってからで、1、2巻では松の廊下に至る8年間の元禄の社会を政治と経済の目で描いている。芭蕉、其角、近松門左衛門なども登場する。江戸と赤穂だけでなく大阪も主要な舞台になっている。

 幕藩体制の基本である米の経済が崩れ、藩の財政は悪化し、困窮する武士が増加する一方で、貨幣経済への移行・商業景気によって富裕な商人が台頭してくる。そんな転換期の社会を多様な登場人物によって描き出している。

◎クライマックスを盛り上げない忠臣蔵

 この小説では吉良上野介も大野九郎兵衛も悪意の人物ではなく、それぞれが自分が正しいと思う行動をしている。塩田に関する話が大きなウエイトを占めているが、刃傷の原因を製塩に関する競合とはしていない。思惑のすれ違いや誤解のエスカレートが刃傷という悲劇を招いたという話にしている。

 元来、忠臣蔵物語の面白さは「刃傷」「討ち入り」という二つのクライマックスに話を盛り上げていくところにあるが、この小説はそういう構造にはなっていない。

 「刃傷」や「討ち入り」を坦々と描いている。それでも面白いのは、商人や劇作家(近松)を含めた多様な視点を取り入れたうえで、作者が時代を俯瞰しているからである。

◎「不義士」たちの運命

 また、この小説の面白さは、討ち入りに参加しなかった「不義士」たちの運命を描くことによって「忠臣蔵」を相対化している点にもある。井上ひさしの『不忠臣蔵』に通じる苦さでもあるが、産業振興にまい進して失業武士の救済を図ったテクノクラートが「不義士」として斥けられる皮肉は堺屋太一氏ならではだ。

 忠臣蔵とは歴史上の事件をタネに際限なく膨れ上がる共同幻想の世界であり、それをどう摑まえるかは千差万別で、そこに忠臣蔵の面白さがある。

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