14年前に出た十八世勘三郎の半生記を面白く読んだ2018年10月20日

『勘九郎日記「か」の字』(中村勘九郎/集英社/2004.11)
 今月観た歌舞伎が「十八世中村勘三郎七回忌追善」だったのがきっかけで、書架に眠っていた次の本に手がのびた。

 『勘九郎日記「か」の字』(中村勘九郎/集英社/2004.11)

 14年前に出版された半生記で、この本が出た時点(2004年11月)では勘九郎だが、すでに勘三郎襲名(2005年3月)が決まっていた。襲名の7年後(2012年12月)、57歳で早世する。

 数年前に古書市で購入し、いずれ読もうと積んでいた本である。誕生時や初舞台のことから勘三郎襲名をひかえた決意までが軽妙な日記体で書かれていて、面白く読了した。

 2004年の平成中村座のニューヨーク公演のドキュメント、幅広い交友、歌舞伎の舞台裏から私生活までを臨場感たっぷりに語り、新時代の歌舞伎への覚悟も伝わってくる。

 18世勘三郎は私が初めて知った歌舞伎役者である。彼は幼児の頃からメディアに出ていた。私は彼より7歳年長なので、子ども頃から子役の「勘九郎クン」を知っていた。だが、テレビなどで観るだけで、彼のナマの芝居を観たことはない。

 あの「勘九郎クン」が大人になり、状況劇場などからも影響を受けて歌舞伎の新しい形に取り組んでいることは知っていた。注目していた役者だったのに舞台を観る機会を逸したのは残念である。

 仕事をしていた頃は時間の制約から歌舞伎を観るのは難しかったが、評判の『野田版 研辰の討たれ』(2001年8月)はぜひ観たいと思った。土日のチケットは取れなかったので、一幕見でもと思い、勤務終了後に歌舞伎座まで行ったが長い行列ができていて満席で入れなかった。別の日にも行ったがやはりダメだった。

 後日、DVDで『野田版 研辰の討たれ』を観て、その面白さを確認し、あのときもっと粘ってナマで観たかったという気持ちがよみがえった。

 本書のラスト近くで、立川談志とのエピソードを楽しげに次のように語っている。

 『家元(立川談志)は私に死ねという。もちろん得意のブラックジョークだが、なぜ「早く死ね!」かというと「若いうちに早く死ねば、伝説になる」というのだから、たまらない。』

 亡くなる8年前の記述である。いまとなってはしみじみと読むしかない。本当に早世して伝説になったのだから。