西郷隆盛は会っても理解できないメンドーな人か… ― 2018年10月16日
◎歴史学者は西郷隆盛をどう見ているか
西郷隆は盛はあまり深入りしたくない人物で、大河ドラマ『西郷どん』もきちんと観ていない。それでも、西郷隆盛を美化しすぎ、そのぶん徳川慶喜を卑小な悪役にしてるように思え、少々鼻につく。
大河ドラマはフィクションだと割り切ってはいるが、歴史学者たちが西郷隆盛をどう評価しているか確かめたくなり、次の新書を読んでみた。
(1)『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治/講談社現代新書)
(2)『素顔の西郷隆盛』(磯田道史/新潮新書)
(3)『西郷隆盛 維新150年目の真実』(家近良樹/NHK出版新書)
(4)『西郷隆盛:西南戦争への道』(猪飼隆明/岩波新書)
この4冊の著者はみな学者である。(2)(3)は最近の刊行で大河ドラマ『西郷どん』にも触れている。(1)は2013年4月刊行、(4)は1992年6月刊行である。
4冊の新書を読んで西郷評価の難しさと面白さを感じた。西郷の言動や書簡は多数残っているが、黙して語らなかった事項も多い。表面的事象はわかってもその内面、つまり何を考えていたのか(あるいは考えていなかった)はわからない。そこに矛盾や謎があり、評価が難しくなるようだ。
◎同時代の人にとっても謎の人
4冊の中では(3)が一番面白かった。著者の家近氏は西郷の謎を解明しようという動機で本書を書いており、その問題意識は私の関心に近い。家近氏は本書刊行の直前に「分厚い西郷隆盛の評伝」を刊行していて、この新書はその評伝の続編をかねた入門書になっている。いつの日か分厚い評伝に挑戦したいと思わないでもないが、この新書に評伝の骨子は反映されているようにも思える。私が着目した本書の指摘は以下の通りである。
・薩摩幕末史の主役は西郷・大久保ではなく久光と小松帯刀だった
・西郷は好き嫌いの激しい狭量な人物で包容力はなかった
・西郷は同時代の人々にとっても謎の人物だった
・西郷・大久保は慶喜を過大評価し恐れていた
・慶喜は物事を俯瞰的に眺めて冷静な判断はできたが胆力はなかった
・西郷と大久保を対等な盟友ではなく先輩・後輩の関係と見るべきだ
◎征韓論者西郷は虚像
(1)の著者・坂野氏は「西郷を尊敬する」と明言している。学者にしては思い切った言い方で感心した。西郷を「征韓論者」と見なすのは間違いだとし、次のように述べている。
「幕末維新期の西郷は、対外政策では冷静かつ合理主義的であり、国内政治では民主的で進歩的であった。幕末の西郷は、吉田松陰や木戸孝允とちがって、一度も「攘夷」を唱えたことはなかった。」
合理主義的、民主的、進歩的という形容は一般的な西郷のイメージとはかなり異なる。坂野氏は幕末期の西郷が藩を超えた藩兵の横断的結合を重視していたことを強調し、西郷の「実像」を呈示している。
私には著者の呈示した「実像」の妥当性を評価する能力はない。あらためて、多様な見方ができる人物だったと思うしかない。
◎西郷は天皇親政を期待
(4)は明治6年の政変(征韓論の敗れた西郷、板垣らの下野)から西南戦争までの政治史を「有司専制」をキーワードに分析している。わかりやすくはないが興味深い分析である。
大久保らの「有司専制」とは藩閥や藩士意識を排除した官僚制である。明治6年の政変は、「有司専制」が西郷・板垣によって堀り崩されようとしているのに危機感をもった大久保・岩倉が「有司専制」を進めるために西郷・板垣を排除した事変だとの見立てである。
西郷が「有司専制」に反発したのは西郷に藩士性が強く残っていたからであり、有司専制ではなく天皇親政を期待していたそうだ。西郷の死後、日本は有司専制から天皇親政官僚制に移行し、西郷は復権したという分析である。
猪飼氏は西郷の人間の大きさ(至誠・胆力・正直・公平・無私など)が広く国民に知られていたとしつつも、政治家・行政官としては無能で明確な国家構想はなかったと評価している。軍(いくさ)好きの軍略家だとも述べている。
◎近寄れば死の匂いがする人
(3)の著者・磯田氏は『西郷どん』の時代考証を担当している歴史学者である。と言っても(3)は必ずしも西郷を肯定的に評価した内容ではなく、史料をベースに西郷の生涯を概説している。
西郷の人物像を語った箇所をいくつか引用する。
「西郷は人間的には大きいのですが現代風にいえば、かなり面倒くさい男であったのは確かです。西郷は我々のイメージと違って、包容力のある男ではありません。必要以上に人とぶつかる男で、後年、薩摩の知人たちが、西郷には困らされたと語っています」
「西郷の押しの強さ、相手に言うことを呑ませる力は、何をするかわからないという恐怖感と背中合わせなのです」「無体な処分を主張し続けて、文句を言う者は短刀で殺すという。はっきり無茶です。でも西郷ならやるかも、と思わせる力があり皆を黙らせたのです」
「西郷は万事、不器用で、失敗が多いのです」「ムラの多いリーダーです。見事な指揮をする時期と、ふさぎこんで無能の人になる時期との差が大きいのです」
「あれだけ人望があり、人に好かれる明るさがあるのに、近寄れば近寄るほど死の匂いがしてくるのです」「子供みたいな純真な側面がありながら、策謀を始めるといくらでも悪辣なことを考えられる頭脳」
磯田氏は上記のように語りながら「西郷は色々な顔をもち、それだけ人物像の確定が難しい」とし、歴史家や作家泣かせの人物だとしている。
◎大人物を演じることができた人では…
4冊の新書を読んで私の頭の中に浮かんだ西郷像は「演じる人」である。胆力があると見なされる人物の多くは「演じる人」であり、演じる自分と自身を一体化できる人だと思う。
演じる自分に自信をもつと素顔と仮面の区別がつかなくなり、周囲に大きな磁場を発散する。身近な人にとっては「面倒な人」「つきあい切れない人」になる。大久保や従道はその磁場から逃げた人に思える。
司馬遼太郎は『翔ぶがごとく』のなかで、西郷という人物は「会ってみなけらばわかない」と述べている。だが、会っただけでもわからない人物だったように思える。いつの時代にもそういう人はいそうな気がする。私が小人物だからこんな考えになるのだろう。
西郷隆は盛はあまり深入りしたくない人物で、大河ドラマ『西郷どん』もきちんと観ていない。それでも、西郷隆盛を美化しすぎ、そのぶん徳川慶喜を卑小な悪役にしてるように思え、少々鼻につく。
大河ドラマはフィクションだと割り切ってはいるが、歴史学者たちが西郷隆盛をどう評価しているか確かめたくなり、次の新書を読んでみた。
(1)『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治/講談社現代新書)
(2)『素顔の西郷隆盛』(磯田道史/新潮新書)
(3)『西郷隆盛 維新150年目の真実』(家近良樹/NHK出版新書)
(4)『西郷隆盛:西南戦争への道』(猪飼隆明/岩波新書)
この4冊の著者はみな学者である。(2)(3)は最近の刊行で大河ドラマ『西郷どん』にも触れている。(1)は2013年4月刊行、(4)は1992年6月刊行である。
4冊の新書を読んで西郷評価の難しさと面白さを感じた。西郷の言動や書簡は多数残っているが、黙して語らなかった事項も多い。表面的事象はわかってもその内面、つまり何を考えていたのか(あるいは考えていなかった)はわからない。そこに矛盾や謎があり、評価が難しくなるようだ。
◎同時代の人にとっても謎の人
4冊の中では(3)が一番面白かった。著者の家近氏は西郷の謎を解明しようという動機で本書を書いており、その問題意識は私の関心に近い。家近氏は本書刊行の直前に「分厚い西郷隆盛の評伝」を刊行していて、この新書はその評伝の続編をかねた入門書になっている。いつの日か分厚い評伝に挑戦したいと思わないでもないが、この新書に評伝の骨子は反映されているようにも思える。私が着目した本書の指摘は以下の通りである。
・薩摩幕末史の主役は西郷・大久保ではなく久光と小松帯刀だった
・西郷は好き嫌いの激しい狭量な人物で包容力はなかった
・西郷は同時代の人々にとっても謎の人物だった
・西郷・大久保は慶喜を過大評価し恐れていた
・慶喜は物事を俯瞰的に眺めて冷静な判断はできたが胆力はなかった
・西郷と大久保を対等な盟友ではなく先輩・後輩の関係と見るべきだ
◎征韓論者西郷は虚像
(1)の著者・坂野氏は「西郷を尊敬する」と明言している。学者にしては思い切った言い方で感心した。西郷を「征韓論者」と見なすのは間違いだとし、次のように述べている。
「幕末維新期の西郷は、対外政策では冷静かつ合理主義的であり、国内政治では民主的で進歩的であった。幕末の西郷は、吉田松陰や木戸孝允とちがって、一度も「攘夷」を唱えたことはなかった。」
合理主義的、民主的、進歩的という形容は一般的な西郷のイメージとはかなり異なる。坂野氏は幕末期の西郷が藩を超えた藩兵の横断的結合を重視していたことを強調し、西郷の「実像」を呈示している。
私には著者の呈示した「実像」の妥当性を評価する能力はない。あらためて、多様な見方ができる人物だったと思うしかない。
◎西郷は天皇親政を期待
(4)は明治6年の政変(征韓論の敗れた西郷、板垣らの下野)から西南戦争までの政治史を「有司専制」をキーワードに分析している。わかりやすくはないが興味深い分析である。
大久保らの「有司専制」とは藩閥や藩士意識を排除した官僚制である。明治6年の政変は、「有司専制」が西郷・板垣によって堀り崩されようとしているのに危機感をもった大久保・岩倉が「有司専制」を進めるために西郷・板垣を排除した事変だとの見立てである。
西郷が「有司専制」に反発したのは西郷に藩士性が強く残っていたからであり、有司専制ではなく天皇親政を期待していたそうだ。西郷の死後、日本は有司専制から天皇親政官僚制に移行し、西郷は復権したという分析である。
猪飼氏は西郷の人間の大きさ(至誠・胆力・正直・公平・無私など)が広く国民に知られていたとしつつも、政治家・行政官としては無能で明確な国家構想はなかったと評価している。軍(いくさ)好きの軍略家だとも述べている。
◎近寄れば死の匂いがする人
(3)の著者・磯田氏は『西郷どん』の時代考証を担当している歴史学者である。と言っても(3)は必ずしも西郷を肯定的に評価した内容ではなく、史料をベースに西郷の生涯を概説している。
西郷の人物像を語った箇所をいくつか引用する。
「西郷は人間的には大きいのですが現代風にいえば、かなり面倒くさい男であったのは確かです。西郷は我々のイメージと違って、包容力のある男ではありません。必要以上に人とぶつかる男で、後年、薩摩の知人たちが、西郷には困らされたと語っています」
「西郷の押しの強さ、相手に言うことを呑ませる力は、何をするかわからないという恐怖感と背中合わせなのです」「無体な処分を主張し続けて、文句を言う者は短刀で殺すという。はっきり無茶です。でも西郷ならやるかも、と思わせる力があり皆を黙らせたのです」
「西郷は万事、不器用で、失敗が多いのです」「ムラの多いリーダーです。見事な指揮をする時期と、ふさぎこんで無能の人になる時期との差が大きいのです」
「あれだけ人望があり、人に好かれる明るさがあるのに、近寄れば近寄るほど死の匂いがしてくるのです」「子供みたいな純真な側面がありながら、策謀を始めるといくらでも悪辣なことを考えられる頭脳」
磯田氏は上記のように語りながら「西郷は色々な顔をもち、それだけ人物像の確定が難しい」とし、歴史家や作家泣かせの人物だとしている。
◎大人物を演じることができた人では…
4冊の新書を読んで私の頭の中に浮かんだ西郷像は「演じる人」である。胆力があると見なされる人物の多くは「演じる人」であり、演じる自分と自身を一体化できる人だと思う。
演じる自分に自信をもつと素顔と仮面の区別がつかなくなり、周囲に大きな磁場を発散する。身近な人にとっては「面倒な人」「つきあい切れない人」になる。大久保や従道はその磁場から逃げた人に思える。
司馬遼太郎は『翔ぶがごとく』のなかで、西郷という人物は「会ってみなけらばわかない」と述べている。だが、会っただけでもわからない人物だったように思える。いつの時代にもそういう人はいそうな気がする。私が小人物だからこんな考えになるのだろう。
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