科学で解明できない「神」を科学者はなぜ信じるのか2018年08月02日

『科学者はなぜ神を信じるのか:コペルニクスからホーキングまで』(三田一郎/ブルーバックス/講談社)
 三田一郎氏は素粒子物理学者であると同時にカトリックの聖職者である。2008年にノーベル物理学賞を受賞した「小林・益川理論」の実証に貢献した世界的な物理学者だ。私は9年前に三田氏の講演会で少しお話をさせていただいたことがあり、そのときの感想は以前のブログに書いた。

 その三田氏の次の新著を新聞広告で知り、さっさく購入して読んだ。

 『科学者はなぜ神を信じるのか:コペルニクスからホーキングまで』(三田一郎/ブルーバックス/講談社)

 私は無宗教で神を信じていない。私よりはるかに頭脳明晰な物理学者がなぜ神を信じているのか、その不思議が解明できるかと思って本書を読んだ。読み終えて、科学者が神をどのようにとらえているかの理解は少し深まった。

 本書は基本的には地動説から現代宇宙論に至るまでの科学史概説であり、それは「神業」の領域がどんどん狭められてきた歴史である。マクロな宇宙の構造や起源からミクロな素粒子までが徐々に解明されていく物語にはワクワクさせられる。

 著者によれば、神の領域を狭めてきた偉大な科学者の多くは神の存在を感じていたそうだ。無神論とみなされている学者(アインシュタイン、ディラック、ホーキングなど)も神を意識していたはずだというのが著者の見解だ。

 カトリック教会はガリレオを断罪したが、1992年になって教皇ヨハネ・パウロ2世はガリレオに謝罪する。ほんの26年前だ。三田氏は、この謝罪がなければ自分も教会から離れただろうと述べている。部外者には推し量りがたい心境だ。倫理ではなく自然科学的「真理探究」に宗教が関わることへの違和感はある。

 最終章の「最後に言っておきたいこと --- 私にとっての神」では、素粒子研究者である自分が神を信じるに至った経緯を述べている。「積極的無宗教」を標榜する益川敏英氏への反論が面白い。神を信じることは思考停止ではなく、「もう神は必要ない」と探求の「無限のいたちごっこ」をやめてしまうことこそが思考停止だとの見解だ。説得されたわけではないが何となく納得させられてしまう。だが、モヤモヤしたものは残る。

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