オーウェルの『1984』が芝居になった2018年04月29日

◎幻の大杉漣

 新国立劇場主劇場で『1984』を観た。オーウェルが描いたあの逆ユートピア世界がどんな舞台になるのか興味があった。

 主演は井上芳雄、数カ月前にチケットを購入した時点では私には未知の俳優だった。先月のNHKの『LIFE』というコント番組にゲスト出演していたのを見て好感を抱き、急に既知の俳優になった。藝大声楽家出身の若手ミュージカルスターだ。ただし、今回の舞台は科白のみで歌はなかった。

 チケット購入時のチラシには出演者に大杉漣の名があった。急逝のため代役になり、新たなチラシからは名前が消えている。大杉漣が演じる予定だったオブライエンは主人公に対峙する重要な役で、代役(横すべり)の神農直隆は好演だった。でも、舞台を眺めながらその姿の向こうに大杉漣の亡霊がチラチラする感覚にとらわれた。

◎半世紀前の未来はもはや遠い過去

 私が『1984年』という小説の存在を知ったのは高校生の頃で1960年代だ。この「未来小説」を読みたいと思ったが当時は入手困難で、1968年に刊行された早川書房の『世界SF全集』第1回配本『ハックスリィ、オーウェル』でやっと読むことができた。

 当時、1984年は十数年先の未来だった。周知のようにオーウェルがこの小説を発表したのは1948年(私の生まれた年だ)で、西暦下2桁を入れ替えて 『1984年』にした。現状のある社会体制をおし進めたときにあり得るかもしれない監視社会という「もう一つの世界」を提示した小説で、必ずしも未来予測小説ではない。

 にもかかわらず、現実に1984年を経過した時には「ついに1984年を越えてしまった」という不思議な感覚におそわれた。私たちは『1984年』を未来小説の感覚で読んだが、1984年以降の読者はどんな感覚で読むのだろうかとも思った。

 その後、村上春樹が近過去小説と銘打って『1Q84』を発表したときには、内容はともかくそのタイトルのつけ方に「こんなテがあったのか」と感心した。

◎『1984』は普遍的な物語

 今回、『1984』の舞台を観て、かつての「未来小説」は現実の1984年を経過して21世紀を迎え、より普遍的な物語になったのだと認識した。かつて名付けられた「逆ユートピア小説」という呼称はもはやふさわしくない。そんなノンビリした世界ではなく、近未来や近過去を超えたより切実な隣接世界を描いているように思える。

 上演パンフによれば、オーウェルの『1984年』には「付録」があり、そこには2050年という年代が言及されているそうだ。半世紀前に読んだ『1984年』の詳細は失念していても、あの世界の雰囲気と主人公の運命は憶えている、だが、「付録」の存在は記憶にない。

 観劇から帰宅し、本棚の奥の『世界SF全集10 ハックスリィ、オーウェル』を確認してみると小説の末尾に『付録 ニュースピークの諸原理』という十数ページの評論風の文章があった。私の記憶からはまったく抜け落ちていた。いつものことながら、わが記憶の頼りなさに愕然とする。目を通してみると、確かに2050年が射程に入っている。この付録をベースに舞台を構想した脚本家(ロバート・アイク、ダンカン・マクミラン)の着眼に感服した。

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