歴史を理系の視点で考察した板倉聖宣氏が逝去2018年02月10日

訃報記事、『日本史再発見:理系の視点から』(板倉聖宣/朝日新聞社/1993年)、同書掲載の図表
 本日(2018年2月10日)の朝日新聞朝刊に科学教育の板倉聖宣氏の訃報が載っていた。87歳の老衰死とある。扱いがちょっと小さいなと思った。

 仮説実験授業法の提唱者で『ぼくらはガリレオ』をはじめ多くの著作がある人だ。私は教育とは無縁だが板倉聖宣氏のファンだった。約30年前、偶然に京王線の電車内で板倉聖宣氏と言葉を交わしたこともあり、その経緯は4年前のブログに書いた。

 訃報に接して驚いたのは、ほんの2週間ほど前、板倉聖宣氏の消息が気になってネット検索し、Wikipediaで氏のご存命を確認したばかりだったからだ。

 なぜ気になったのか。それは大河ドラマ『西郷どん!』のせいである。第1回と2回は全部観たが、それ以降は録画したものを早送りで観ただけだ。陳腐な作りが目につき、いまのところあまり興味がわかない。

 その『西郷どん!』の中で、百姓たちは白米など食べたことがないという表現があり、引っかかった。板倉聖宣氏が『歴史の見方考え方』(仮説社/1986年)で、統計データに基づいて「江戸時代の農民がもっとも多く食べていたのは米」と指摘していたからだ。同様の指摘を示す図表が『日本史再発見:理系の視点から』(朝日新聞社/1993年)にも掲載されている。

 単純化して言えば、当時の主食物生産量の約6割は米であり、人口比の少ない武士と町人だけで食べきれる量ではなく、多くの農民は主に米を食べていたと考えざるを得ない、ということである。

 わかりやすい説なので納得できた。そんな記憶があったので『西郷どん!』の「白米を食べたことがない百姓たち」が気になったのだ。武士が食べきれなかった米を薩摩ではすべて焼酎にしたとも思えない。大河ドラマはフィクションとは言え学者が時代考証をしていると考えられる。歴史学者たちが板倉聖宣氏の説をどう評価しているのかが気になり、ネットを検索してみた。私の調べ方が悪いのか、何もわからなっかた。詳しい方にご教示いただければうれしい。

 そんなわけで板倉聖宣氏の消息を検索し、その直後に訃報に接した。合掌。