蒙古襲来の頃、マルコ・ポーロは元にいた2018年01月28日

『マルコ・ポーロ 東方見聞録』(月村辰雄・久保田勝訳/岩波書店)
 日本を「黄金の国」と紹介したマルコ・ポーロの『東方見聞録』の名は小学生の頃から知っていたが、その後の半世紀以上の人生で、この高名な書を読んでみたいと思ったことはなかった。にもかかわらず、先日読んでしまった。気まぐれ人生の一寸先は闇だ。

 『東方見聞録』を読む気になったのは、小学館版『日本の歴史』の『蒙古襲来』(網野善彦)と中公版『日本の歴史』の『蒙古襲来』(黒田俊雄)を続けて読み、その両方にマルコ・ポーロの『東方見聞録』に関する記述があったからだ。

 『東方見聞録』が元寇に言及していると知り、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読んでいて元寇に関する記述に遭遇してささやかな感動を覚えた気分を思い出し、『東方見聞録』への興味がわいた。

 私が読んだのは次の版だ。

 『マルコ・ポーロ 東方見聞録』(月村辰雄・久保田勝訳/岩波書店)

 ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロ(1254年~1324年)は17歳のとき父・叔父に連れられて東方へ旅立ち、元の大都(北京)でクビライ・カーンの行政官を務めたりして、41歳になって帰国する。文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)の時代に東アジアに在住していた鎌倉時代末期の人である。

 『東方見聞録』は帰国後にルスティッケロという著述家がマルコ・ポーロの話を文章化したもので、当時は写本の時代なのでいろいろな版が伝えられている。私の読んだ岩波書店版は原本に近い版の翻訳だそうだ。

 マルコ・ポーロに関しては、元の大都まで行ってないとか、マルコ・ポーロは実在しないなどの見解もあり、『東方見聞録』には謎が多い。だが、この本がコロンブスをはじめ後の西洋人に多大な影響を与えたのは間違いない。

 本書には信じがたい奇跡や魔法の話も多く、かなり話を盛っている。マルコ・ポーロの個人的体験談や感想は少なく、情報を収集した地誌に近い。ユーラシア大陸全体からアフリカ東岸にいたるまでの数多くの地名が出てくるのには驚いた。訪問はしていないと明記しているのは日本とマダカスカルぐらいで、他の地域をすべて踏破しているとすれば大旅行である。

 マルコ・ポーロがビルマのパガンも訪れているのには感激した。私は遺跡群の町パガンに2回行ったことがあり、多くの寺院遺跡を残したパガン王朝が滅びたのが鎌倉時代末期だと聞いていた。だから、本書のパガンの件りは期待しながら読んだ。しかし、通り一遍の簡単な記述で終わっていた。がっかりである。

 『東方見聞録』全体を読んで、いちばん魅力的に見える地域は日本である。宮殿の屋根も床も純金で、大量の宝石(真珠のことらしい)を産すると書いてある。クビライ・カーンが日本征服を企てたのは、その富が目当てだったとある。本書を読んで日本を目指す冒険家が出てくるのは当然だと思える。

 元寇に関する記述は全般に史実離れしていて、ほとんどフィクションだ。また、次のような記述もある

 「この島(サパング=日本)の住民もインド(東南アジアのことか?)のすべての島々の住民も、敵を捕虜としてその身代金が支払われない時には、捕虜を捕まえた者は友人や親類を集め、皆で捕虜を殺し、その肉を焼いて食べてしまう。そして、これが世界で最高の味の肉だといっている。」

 日本人は人食い人種になっている。しかも、日本に関する記述の直前に前書きの形で「それらは驚くべき事柄であるが、嘘の一つも混じらぬ真実の話である」との念押しまである。常套句かもしれないが、これを信じた人も少なくはなかっただろう。

 いずれにしても『東方見聞録』は『驚異の書』と呼ばれるにふさわしい奇書だと確認できた。

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