忸怩たる思いにさせられる『世代の痛み』2017年11月12日

『世代の痛み:団塊ジュニアから団塊への質問状』(上野千鶴子・雨宮処凛/中公新書ラクレ)
 『世代の痛み:団塊ジュニアから団塊への質問状』(上野千鶴子・雨宮処凛/中公新書ラクレ)

 1948年生まれの団塊世代・上野千鶴子と1975年生まれの団塊ジュニア・雨宮処凛の対談本である。私は上野千鶴子と同い年、わが長女は雨宮処凛より一つ上、同世代であるゆえに『世代の痛み』というタイトルがイタイ。

 団塊世代論はもうタクサンだと思いつつ、団塊ジュニアとの絡みとなると現代につながる数十年の総括かと考え、つい手が伸びた。

 上野千鶴子はコワイ人なの敬して遠ざかるようにしていたのに、この対談を読んでしまい、あらためて叱責糾弾されている心地悪さを味わった。本書は「団塊世代」と「フェミニズム」に関わる対談で、私たち団塊のオトコは「いい気なオヤジ」となじられている。

 上野千鶴子は「全共闘→連合赤軍」がその後40年にわたる呪縛の時代を招来したと見ている。確かにそうかもしれない。わが世代の責任であり、その子の団塊ジュニアはロスジェネ世代と呼ばれるようになった。忸怩たる思いにならざるを得ない。

 「学生運動はどんどん遠隔目標を作り、一番遠いシンボルに革命という妄想があった」「遠隔目標を作れば作るほど、勝てない闘争になっていく。やはり、目の前の小さな勝利が大切ですね」と語る上野千鶴子はおそらく正しいのだろう。遠隔目標のある大きな物語にも妖しい魅力的はあるのだが…

 雨宮処凛の次のような発言にも身につまされた。

 「後になってインテリの人たちが、おまえらはバカで貧乏だから騙されて小泉に投票したんだ、みたいなことを言ったりもした。そういう言い方はひどいですね。すごく差別的だと思いました。バカで貧乏なやつは投票にいくな、みたいな。そこでまたリベラルな人が嫌いになった人もいる。」

 なんでこんな時代になったのだろうと思うことの多い昨今だ。だが、こんな時代にしたのは、私たち自身だという当然のことを想起させられる対談本だった。

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