『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』は刺激的で異界の夢のようだ2017年07月02日

『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(水野和夫/集英社新書)
 資本主義の終焉を主張する水野和夫氏の新著『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社新書)を読んだ。2年前に読んだ前著『資本主義の終焉と歴史の危機』と似た内容のようで、あえて読むこともないと思ったが「閉じていく帝国」という概念が気になって購入した。

 前著でも私は水野氏の主張に納得したわけではなく、今回の『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』も、そこで展開されている論旨をそのまま受け容れることはできなかった。興味深い指摘は多いがマクロな話とミクロな話に加えて著者の思い込みのような概念が入り混じっていて、何とも評価が難しい。

 本書は経済学の本ではなく、歴史、科学史、哲学、宗教、社会学、地政学、文学などを援用して21世紀の世界のありようを述べている。

 著者の主張によれば現代とは、500年続いた近代が終わり、800年続いた資本主義が終わり、かつまたノアの方舟に始まった蒐集の時代が終わろうとしている大転換期である。かなりの時間軸だ。

 蒐集、資本主義、近代システムが終わった後は経済成長のない定常状態を目指さねばならず、21世紀は国民国家を超えた「閉じた帝国」が割拠する時代になるという。「閉じた帝国」とは「世界帝国」を目指さない「地域帝国」であり、米国、EU、ロシア、中国などだ。そんな21世紀は中世を参照した新中世と呼ぶような時代になるそうだ。

 あまりに風呂敷が大きすぎて、不思議なモノを読んだというのが正直な感想だ。刺激的な本だったのは間違いない。歴史の大きな流れや「国民国家」という概念についてはボチボチと自ら検証して行きたいという気になった。

 水野氏は「国民国家」(著者はそれを「主権国家」とも呼ぶ)が、資本に対抗したり安全保障を考えるには小さすぎ、人々の日々の活動に対処するには大きすぎる中途半端なものだと見なしている。だから、「地域帝国」と「地方政府」という形態になるのが望ましいと述べる。面白い視点だと思う。水野氏の視点とはずれるかもしれないが、「国民国家」を乗り越えるべき歴史的存在と考える「国民国家論」には興味がある。

 ゼロ成長、定常状態という経済をイメージするのは私には難しい。生命という現象や宇宙という存在との整合性を感じにくいからだ。生物には誕生から死までの成長曲線があり、現代の宇宙論は定常宇宙という安心できる概念を否定し膨張宇宙という気持ち悪い状態を肯定している。福岡伸一氏によれば生命とは動的平衡だそうだから、定常状態を動的平衡と捉えればいいのかもしれないが…。

 本書の「あとがき」で、富山県利賀村で上演された鈴木忠志の芝居が出てきたのには驚いた。水野氏は利賀村で上演された「世界の果てからこんにちは」を観て、「資本主義の終焉」というインスピレーションを得たそうだ。私はこの芝居を観たことはないが、若い時に一度だけ利賀村まで足を運んで鈴木忠志の芝居を観たことがある。交通の便の悪い山間の利賀村まで行って芝居を観るのは、俗世から隔絶した空間での非日常的体験だった。本書の「あとがき」までを読み終えて、俗世を離れた異界で観た夢を描いた本を読んだ気がした。