ロシアにはロシア文学の名残があった2017年06月15日

左上:プーシキン像、右上:ドストエフスキー像、左中:プーシキン、右中:ゴーゴリー、左下:ドストエフスキー、右下:トルストイ
 モスクワ2泊、サンクトペテルブルグ3泊のロシア観光ツアーに参加、あわただしくアッという間に終わり、足が疲れた。初めてのロシア旅行で特に自分に課したテーマはなく、知らない寒い国の様子を垣間見たいと思った。

 モスクワもサンクトペテルブルグも予想したほどに寒くはなかった。1週間前は雪だったそうだが、半袖でもOKの気候で、準備したダウンジャケットの出番はなかった。帰国した6月13日の東京はロシア以上に寒く、ロシアで不要だったダウンを着るはめになった。

 見学したのは主に旧宮殿とロシア正教の教会だ。クレムリンもエルミタージュ美術館も元は宮殿だし、トレチャコフ美術館は商人の元邸宅とは言え教会を併設している。

 豪壮な宮殿を観て回ると、あらためて帝政時代のロシア皇帝への富の偏在が実感される。また、教会を観て回ると、社会主義時代にも生き延びたロシア正教の根深さを感じる。

 そんな感想とは別に、ロシアにはやはりロシア文学の名残が色濃く残っているのが意外だった。私も大学時代にはロシア文学に魅かれた時期があり、人並みにロシア文学には関心があるが、今回のツアーとロシア文学つなげて考えてはいなかった。一般の観光旅行のつもりだった。それでも、行く先々で文学者の銅像(ドストエフスキー、プーシキンなど)や肖像画(プーシキン、ゴーゴリー、ドストエフスキー、トルストイなど)に遭遇し、軽い感動を憶えた。

 サンクトペテルブルグ市内をバスで観光しているとき、日本語ガイドのロシア人女性が「ここから見える通りが『罪と罰』のラスコリーニコフが住んでいた場所です」と案内してくれた。もちろん、ラスコリーニコフは実在の人物ではない。だが、かつての住人として人々の記憶に定着しているのかもしれない。

 しばらく行くと「左手に見えるのがゴーゴリのハナの家です」と案内してくれた。「ハナ」が「花」に聞こえ、ゴーゴリーに「花」という作品があったかなあと考えているうちにバスは現場を通過し、ハッとした。その家のドアの上には立派な「鼻」のオブジェが飾られていた。それを見て、ゴーゴリーに『鼻』という珍妙な短篇があったと思い出した。自分の体から分離した鼻が上司になる話だったと思う。もちろん、実話である筈がない。でも、その家は実在していた。

 ラスコリーニコフの家も「鼻」の家もバスの車窓から眺めただけで、写真も撮れなかった。いつの日か、ロシア文学をテーマにロシアの街歩きをするのも一興だと思えた。と言っても、かつて読んだロシア文学の大半は忘れてしまっているし、あの重厚長大な作品群を読み返す元気はない…今のところ。

 ロシアで着なかったダウンを東京で着るはめになったように、忘却していた宿題を持ち帰ってしまったような気分だ。

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