二つの科学雑誌の特集記事が暗示する困った時代2017年06月06日

 『日経サイエンス 2017年7月号』の特集記事は「トランプvs科学 Post-truthに抗う」だ。科学雑誌らしからぬ政治的な見出しで目を引く。ほぼ同じ時期に発売の『NATIONAL GEOGRAPHIC 2017年6月号』の特集記事は「なぜ人間は嘘をつくか」で、この記事もトランプ大統領に触れている。

 二つの科学雑誌の最新号がトランプ大統領登場に触発されたと推測される特集を組んでいるのに、メディアの敏感さを感じると同時に、21世紀初頭において世界史は転機に晒されているようにも感じられる。

 『NATIONAL GEOGRAPHIC』の特集は、人間は誰でも嘘をつくという事実をふまえて、人の進化や子供の成長にからめて「嘘をつく」という行為を解説したうえで、この行為を社会心理学的に論じている。

 『日経サイエンス』の特集記事は、科学的知見やデータを軽視するトランプ大統領の反科学的な態度を取り上げ、それが今後の米国の科学政策へ及ぼす影響を案じている。

 二つの記事が共通して取り上げているトランプ大統領の「嘘」に関するエピソードが二つある。就任式の観衆の数がオバマ大統領の時より多かったという主張と「ワクチンは自閉症を引きおこす」という主張だ。前者は映像やデータから間違いなのは明らかだし、ワクチンに関する主張は学問的には否定されている。しかし、大統領は主張を変えない。不思議な話であるが、そんな時代に入ってしまったのだと考えるしかない。

 こんな記事を読んでいると、ヒトラーのナチス時代が想起される。アーリア人が最優秀でユダヤ人が劣等人種だという主張には科学的根拠も証拠もない。当時の科学者や知性ある人々の多くはヒトラーの主張が間違っていると分かっていた。にもかかわらず、ヒトラーは合法的に政権を奪取し、大衆は独裁者を支持し、その社会はホロコーストへと突き進んでいく。そんな20世紀の暗い教訓を21世紀になってかみしめなければならないのだから、人類は容易には進歩しないものだと思う。

 二つの記事が共通して指摘しているのは、インターネットの発展によって嘘や偽情報の伝播が容易になり、21世紀特有の社会学的な問題が現出している点である。ヒトラーの時代よりも情況は悪化しつつあるのかもしれない。大変なことである。

ロシアにはロシア文学の名残があった2017年06月15日

左上:プーシキン像、右上:ドストエフスキー像、左中:プーシキン、右中:ゴーゴリー、左下:ドストエフスキー、右下:トルストイ
 モスクワ2泊、サンクトペテルブルグ3泊のロシア観光ツアーに参加、あわただしくアッという間に終わり、足が疲れた。初めてのロシア旅行で特に自分に課したテーマはなく、知らない寒い国の様子を垣間見たいと思った。

 モスクワもサンクトペテルブルグも予想したほどに寒くはなかった。1週間前は雪だったそうだが、半袖でもOKの気候で、準備したダウンジャケットの出番はなかった。帰国した6月13日の東京はロシア以上に寒く、ロシアで不要だったダウンを着るはめになった。

 見学したのは主に旧宮殿とロシア正教の教会だ。クレムリンもエルミタージュ美術館も元は宮殿だし、トレチャコフ美術館は商人の元邸宅とは言え教会を併設している。

 豪壮な宮殿を観て回ると、あらためて帝政時代のロシア皇帝への富の偏在が実感される。また、教会を観て回ると、社会主義時代にも生き延びたロシア正教の根深さを感じる。

 そんな感想とは別に、ロシアにはやはりロシア文学の名残が色濃く残っているのが意外だった。私も大学時代にはロシア文学に魅かれた時期があり、人並みにロシア文学には関心があるが、今回のツアーとロシア文学つなげて考えてはいなかった。一般の観光旅行のつもりだった。それでも、行く先々で文学者の銅像(ドストエフスキー、プーシキンなど)や肖像画(プーシキン、ゴーゴリー、ドストエフスキー、トルストイなど)に遭遇し、軽い感動を憶えた。

 サンクトペテルブルグ市内をバスで観光しているとき、日本語ガイドのロシア人女性が「ここから見える通りが『罪と罰』のラスコリーニコフが住んでいた場所です」と案内してくれた。もちろん、ラスコリーニコフは実在の人物ではない。だが、かつての住人として人々の記憶に定着しているのかもしれない。

 しばらく行くと「左手に見えるのがゴーゴリのハナの家です」と案内してくれた。「ハナ」が「花」に聞こえ、ゴーゴリーに「花」という作品があったかなあと考えているうちにバスは現場を通過し、ハッとした。その家のドアの上には立派な「鼻」のオブジェが飾られていた。それを見て、ゴーゴリーに『鼻』という珍妙な短篇があったと思い出した。自分の体から分離した鼻が上司になる話だったと思う。もちろん、実話である筈がない。でも、その家は実在していた。

 ラスコリーニコフの家も「鼻」の家もバスの車窓から眺めただけで、写真も撮れなかった。いつの日か、ロシア文学をテーマにロシアの街歩きをするのも一興だと思えた。と言っても、かつて読んだロシア文学の大半は忘れてしまっているし、あの重厚長大な作品群を読み返す元気はない…今のところ。

 ロシアで着なかったダウンを東京で着るはめになったように、忘却していた宿題を持ち帰ってしまったような気分だ。

大黒屋光太夫の歴史小説を読んで「鎖国」について考えた2017年06月23日

『おろしや国酔夢譚』(井上靖/文春文庫)、 『大黒屋光太夫』(吉村昭/新潮文庫)
◎エカチェリーナ宮殿で江戸時代を思った

 今月上旬のロシア観光旅行から帰国後、大黒屋光太夫を扱った次の歴史小説2編を続けて読んだ。

  『おろしや国酔夢譚』(井上靖/文春文庫)
  『大黒屋光太夫』(吉村昭/新潮文庫)

 サンクトペテルブルグ近郊のエカチェリーナ宮殿の絢爛豪華な内部を見学しているとき、日本語ガイドのロシア人女性が次のような解説をした。

 「この広間は日本にも関連があります。エカチェリーナ2世はここで大黒屋光太夫を謁見しました。大黒屋光太夫は『おろしや国酔夢譚』という映画にもなっています。この映画はロシアのテレビで放映されたこともあります」

 江戸時代にロシアに漂着した船頭を題材に井上靖が『おろしや国酔夢譚』という小説に書いているとは知っていたが、未読の小説なので詳細は知らなかった。エカチェリーナ2世が奔放な啓蒙女帝で興味深い人物だとの断片的知識と関心はあったが、その女帝が漂着した日本人を謁見したとは知らなかった。その謁見から二百数十年後の現場に立ち、大黒屋光太夫という人物が身近に感じられ、帰国したら『おろしや国酔夢譚』を読もうと思った。

◎大黒屋光太夫の波乱万丈と帰国後の苦さ

 そんなわけで『おろしや国酔夢譚』を読んだ。この本の扉には大黒屋光太夫の足取りを描いた地図が載っている。これを眺めるだけでも、茫漠たる気分になる。

 1782年に伊勢から江戸に向けて出航した大黒屋光太夫ら17人は暴風のためアリューシャン列島の小島に漂着する。その後、ロシア本土の東岸へ移動し、その間に約半数が絶命する。そしてシベリアを西へ西へと移動しイルクーツクへ至る。船頭の大黒屋光太夫は皇帝に帰国を嘆願するため、さらに西のペテルブルグにまで赴き、ようやく帰国許可を得て、来た道を東へと引き返し、東端のオホーツク港からラクスマンの船で帰国する。出航から約10年が経過しており帰国できたのは3人、その内の一人は根室で絶命する。函館で幕府に引き渡され江戸に帰還したのは大黒屋光太夫と磯吉の2人だけだった。この10年の足跡の地図は日本とヨーロッパを往復する広大な地図だ。

 その足跡をたどった『おろしや国酔夢譚』を興味深く読み進めることができた。特にペテルブルグにたどり着くまでの艱難辛苦が圧巻だ。そして、帰国後は江戸にとどめ置かれ軟禁状態になる最終章の苦さが印象深い。帰国したいという切望がかなった後、自分たちは見てはならないものを見てきてしまったので幽閉されざるを得ないという感覚にとらわれる。望郷の切望がかなった後の現実への覚醒と酔夢譚のおりなす綾である。

◎井上靖から37年後の吉村昭の『大黒屋光太夫』

 『おろしや国酔夢譚』をネットで注文するとき、同じ題材を扱った吉村昭の『大黒屋光太夫』という小説の存在を知った。『おろしや国酔夢譚』を読了し、大黒屋光太夫に関する物語の概要はわかった気分になったが、同じ人物を吉村昭はどう料理しているか興味がわき『大黒屋光太夫』も読んだ。

 同じ題材ではあるが、井上靖版がやや史談風なのに対し吉村昭版はやや物語風で、水主の磯吉や庄蔵などの造形はかなり異なっている。そして、帰国後の描写が大きく異なる。

 井上靖の『おろしや国酔夢譚』の刊行は1966年、吉村昭の『大黒屋光太夫』の刊行は2003年で、37年の隔たりがあり、吉村昭の方がより豊富な史料を活用しているようだ。新潮文庫版『大黒屋光太夫』に収録されている著者の「文庫版あとがき」や川西政明氏の解説を読むとその辺の事情がわかる。

 1966年頃には大黒屋光太夫が江戸で幽閉状態にあったというのが定説だったが、その後の史料研究でそれは否定されているらしい。大黒屋光太夫や磯吉は故郷への一時帰還も許され、かなり自由にすごしていたそうだ。江戸に居住させられたのは、いつ来航するかわからないロシアへの備えの一環だったらしい。『おろしや国酔夢譚』の印象深いあの最終章の苦さは、史実とは少し異なっているようだ。

 とは言え、大黒屋光太夫や磯吉が異国で過ごした日々を酔夢のように感じ、故国で過ごす現実の日々に時として違和感をもったであろうとは推測できる。

◎「鎖国」とはどういう現実だったのか

 『おろしや国酔夢譚』と『大黒屋光太夫』を読んで、あらためて「鎖国」とは何であったかを検討してみたくなった。「鎖国」とは幕末になって外国からの圧力をかわすための方便として使われた言葉であって、江戸時代の日本は事実上は鎖国していなかったという新説を聞いたことがある。井上靖版と吉村昭版でも鎖国に関する扱いが微妙に違っているように思える。だが、大黒屋光太夫の前には厳然と「鎖国」という現実が存在しているようにも見える。江戸時代の役人、学者、商人、庶民たちが鎖国や海外をどうとらえていたのか興味深い。