歴史の実相が垣間見える『天佑なり:高橋是清・百年前の日本国債』2017年01月23日

『天佑なり:高橋是清・百年前の日本国債(上)(下)』(角川文庫
 『高橋是清自伝』を読むと、半生ではなく一生を記述した伝記も読みたくなり、幸田真音氏の『天佑なり:高橋是清・百年前の日本国債(上)(下)』(角川文庫)を読んだ。

 幸田真音氏の小説はかなり以前に『日本国債』を読んだ記憶があり、債券ディーラー出身で金融に明るい人との認識がある。本書は2013年に出版された単行本の文庫版で、金融経済史をふまえた高橋是清伝だと推察し、現代の視点で俯瞰的に高橋是清を総括した伝記だろうと期待した。

 その期待は半分ぐらいは満たされた。前半はやや期待外れだった。生い立ちから日銀副総裁になるまでの前半は、自伝をなぞっているだけの感じだ。波瀾万丈の前半生なので、自伝を読んでいなければ十分に面白く読めたとは思うが、自伝を読んだ直後だと重複のくり返しで退屈する。後世の作家の俯瞰的な目による独自の見解があまり感じられない。

 日露戦争に関連して海外で日本国債を発行するあたりからは面白くなる。日露戦争の頃から高橋是清の人生が日本の金融経済史と密接にからんでくるので、歴史の動きの実相を垣間見ている気分になってくる。

 やはり、高橋是清の人生の中でいちばん面白いのは日露戦争時の資金調達のくだりだ。一般会計歳入が2億6千万円の時代に戦費支出は18億7千万円、その膨大な戦費の約半分を高橋是清が欧米で調達したのだ。「天佑なり」というタイトルは、ロンドンで日本国債発行にこぎ着けたとき高橋是清が発した言葉であり、自伝では「私は一にこれ天佑なりとして大いに喜んだ」と語っている。

 それにしても、日露戦争が日本の国力をはるかに超えた戦争であり、外貨がいかに逼迫していたかを知っている国民はいなかった。マスコミも把握していなかった。政府中枢と一般国民との意識の乖離からポピュリズムが生まれ、講和条件に反対する暴動につながる。後世からは愚かに見える事象だが、そんなことは現代に到るまでくり返されている。学ぶべきことは多い。

 日露戦争以降の後半三分の一は日本激動の時代であり、高橋是清の人生も激動する。日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣、さらに何度も大蔵大臣を歴任し、政治の中枢に関わる人生になる。日露戦争(1904年)時に49歳だった高橋是清が二二六事件(1936年)で暗殺された時は81歳、この間の32年は自伝では語られていない後半生だ。

 この後半32年間の記述は確かに面白い。しかし物足りない。第一次大戦、関東大震災、金融恐慌など多事多難の時代で、政党政治が定着し、そして崩壊し、軍部が台頭してくる時代である。この32年の歴史はどれほどページを費やしても語りきれない疾風怒濤の濃い時代だ。その時代の実相を高橋是清の伝記だけから把握するのは無理であり、それを求めるのはないものねだりだろう。

 だが、いわゆる「政治家」ではなかった高橋是清に沿って明治・大正・昭和の政党政治を批判的により掘り下げて検証する内容になり得たのではないかとも思える。