原作を読んでから映画を観た2016年05月15日

 火星に一人取り残された宇宙飛行士のサバイバルを描いた映画『オデッセイ』が公開されたのは数カ月前だった。観たいと思っていたが、つい機会を逸してしまった。

 その後、この映画の原作『火星の人(上)(下)』(アンディ・ウィアー/小野田和子訳/ハヤカワ文庫SF)が本屋の店頭に並んでいるのを発見し、購入した。2年前に刊行した翻訳本を映画公開にあわせて新装版にしたものだ。この本を手にするまで、原作のある映画だとは知らなかった。

 この小説、実に面白い。読みだしたらやめられず、一気読みした。著者の処女作だそうだ。読む前から、火星に取り残された宇宙飛行士が生還する話だとわかっているし、半分も読めば情況と展開が見えてくる。その先は「困難発生」→「克服」のくり返しだろうと予測できてしまう。にもかかわらず、一気読みせざるを得ないのは、多様な知見に裏づけされたディティールに説得力があり、物語世界に引きずり込まれてしまうからだ。

 小説を読み終えて、きっと映画はこの小説ほどには面白くはないだろうと思った。経験的に原作の面白さを超える映画に出会うことが滅多にないからだ。しかも、この小説の面白さは、よくできた映画のような面白さなので、小説を読むだけで映画を堪能した気分になってしまう。この気分を凌駕するのは容易でないと思えた。

 にもかかわらず、小説を読み終えると「映画も観たい」と思った。「SFは絵だ」という言葉がある。活字によってイマジネーションを紡ぎ出すのがSFの醍醐味だが、それを具体的な映像で眺めて堪能したいという欲求は抑えがたい。

 そして本日、下高井戸シネマで映画『オデッセイ』を観た。予感したとおり、原作の面白さを超える映画ではなかった。原作に詰め込まれたオタク的ディティールを映画に盛り込むのが困難なのは当然だろう。しかし、原作を補完する映画と割り切れば十分に楽しめる。迫力十分の「動く挿絵」を鑑賞していると思えば贅沢な気分にもなれる。