地球温暖化問題はやっかいだ2016年01月23日

『気候変動とエネルギー問題:CO2温暖化論争を超えて』(深井有/中公新書)、『地球はもう温暖化していない:科学と政治の大転換へ』(深井有/平凡社新書)
 人為的CO2排出が地球温暖化を招いているのでないと主張する物理学者の次の2冊の新書本を続けて読んだ。

『地球はもう温暖化していない:科学と政治の大転換へ』(深井有/平凡社新書/2015.10.15)
『気候変動とエネルギー問題:CO2温暖化論争を超えて』(深井有/中公新書/2011.7.25)

 『地球はもう温暖化していない』は、昨年末『週刊朝日』(2015年11月27日号)の書評欄で斉藤美奈子が「数年後にはこっちが正論になるにちがいないと私は確信しちゃったよ」と紹介していたので興味をもった。文芸評論の斎藤美奈子が科学に強いとは思わないが、多岐にわたる本を読破しているであろう評者に「確信」とまで言わせた本書を読みたくなった。

 同じ著者の『気候変動とエネルギー問題』は東日本大震災の年に出た本で、その折にパラパラと読んではいたが、『地球はもう温暖化していない』を読んだのを機に再読した。著者も書いているように後者は前者を全面的に更新したもので、その論旨はほぼ共通している。

 著者の深井有氏は1934年生まれの金属物理学専攻の物理学者で気候学の専門家ではない。とは言え、元々は東大地球物理学科で気象学を学んでいて大学院の頃に金属物理学に移ったそうだ。若い頃からの関心領域である気象学の現状に口を挟まざるを得ない止むにやまれぬ気持ちから本書2冊を執筆したようだ。

 著者はIPCCに批判的だが、以下についてはIPCCの見解との相違はあまりない。

 ・最近約300年の間、地球の平均気温は上昇してきた。
 ・人為的CO2排出により地球の大気に占めるCO2の割合は上昇している。
 ・CO2は温室効果ガスの一つであり、CO2増加は温暖化の要因になる。

 上記3点を認めるなら、CO2排出を削減することで地球温暖化を抑制する蓋然性があるように素人目には思える。だが、地球の平均気温上昇の主因はCO2増加ではなく、CO2排出の抑制は資源節約の意味はあっても温暖化抑制にはならないというのが著者の見解だ。

 『地球はもう温暖化していない』の主旨を私なりにまとめると以下の通りだ。

 ・地球は温暖化と寒冷化をくり返してきた。その原因は解明途上だ。
 ・最近20年はCO2が増えているにも関わらず温暖化は止まっている。
 ・地球温暖化の主因は太陽活動と宇宙線の可能性が高い。
 ・最近の太陽活動の観測から推測すると、今後は寒冷化すると思われる。
 ・IPCCはCO2排出による温暖化を前提とした組織で、科学的解明には適合せず、政治化している。
 ・CO2排出削減に温暖化抑制の効果は期待できず、莫大なコストをかけるのは無駄だ。
 ・CO2が増えるのはさほど問題ではなく、植物育成などにプラスの効果がある。

 地球温暖化の主因が温室効果ガスではなく太陽活動と宇宙線だという主張が科学的に妥当か否かは、門外漢である私には判断できない。2014年からは再び地球の平均気温が上昇し始めたと聞いたこともある。だが、本書にはある程度の説得力を感じ、いわゆるトンデモ本とは思えなかった。現在、大多数の人が地球温暖化を抑止するためのCO2削減を当然の施策と考え、それを地球環境保全のための崇高な使命とすら捉えている。そんな風潮の中で、本書はおかしな学者が書いたヘンな本と見なされるだけなのだろうか。

 『地球はもう温暖化していない』がどのように評価されているか知りたくてネットを検索してみたが、あまり有用な情報は得られなかった。環境科学の学者が「素人が書く誤りだらけの扇動本」と批判している文章があったが、この学者が他の人から福島の子供たちの放射線リスクを過小に評価するトンドモナイ人と批判されていて「CO2排出抑制論=原発推進論」が連想され、よくわからなくなる。

 地球物理学や気候学の専門家が純粋にサイエンスの目で『地球はもう温暖化していない』の深井氏の議論をどう評価しているのかを知りたいと思ったのだが、そのような記事は発見できなかった。専門家にとっては論評に値しない無視するべき見解なのだろうか。あるいは、深井氏が主張するように多くの専門家は「温暖化ムラ」に取り込まれているのだろうか。

 この世には専門家である科学者の他に、その世界を追っている科学ジャーナリストも多いはずだ。彼らにとってはCO2起因の地球温暖化懐疑論を追うのは邪道なのだろか。私が知らないだけで、この分野で目配りのいい立派な仕事をしている人もいるかもしれないが、よくわからない。

 そもそも地球温暖化問題は科学に政治や経済がからまざるを得ないところがやっかいなのだ。純粋に科学の問題として解明できればいいのだが、事象の解明と対策案がからみあい、政治や経済から純粋なサイエンスを切り離すのが難しい。

 また、純粋なサイエンスと言っても、「真実」に辿り着くには長い道のりがある。もちろん、サイエンスは多数決で決まるものではない。少数意見が正しいわけでもない。最初は異端であってもいずれは大多数の人が認知する「真実」になる見解も多い。それがサイエンスだと思うが、その過程にはかなりの紆余曲折があり得る。

 それは、まさにわれれの歴史と同じだ。尊王攘夷の嵐が吹き荒れた幕末、ナチス台頭期のドイツ、鬼畜米英・八紘一宇の時代の日本、はたまた1960年代の熱気に包まれたわが青春時代などを思い起こすと、大勢という流れの中で「真実」を得ることの困難をあらてめて感じる。地球温暖化問題にも同様のやっかいさを感じる。

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