66年前に焼けた法隆寺金堂壁画を見たい2015年11月12日

2015年11月12日の朝日新聞朝刊社会面と日経新聞朝刊の「私の履歴書」
 私は朝日新聞と日経新聞を購読している。さほど熱心に新聞を読むわけではないが、毎朝、新聞に目を通すのは子供の頃から刷りこまれた習慣だ。わが団塊世代の大半に共通だろう。われわれの子の世代からは新聞離れが進んでいるようだが……

 それはさておき、本日(2015年11月12日)の朝刊では心地良いビックリ体験をした。朝食をとりながら、いつものように日経新聞終面の「私の履歴書」に目を通す。今月は画家の絹谷幸二氏で、本日は芸大時代の卒業制作の話だ。火災にあった法隆寺金堂の壁画を画学生として特別に見学させてもらった体験が綴られている。1949年に焼けた壁画を1964年に見学した感動を次のように述べている。

 「柱はすっかり炭化し、壁画の色は失われ、わずかに輪郭線を残すのみ。しかし、劫火をくぐり抜けた壁画の異様な様相は、紙やカンバスに描かれたどんな絵も吹き飛ばしてしまうほどの迫力があった。人間ひとりが持つ時間など超越して存在し続けるのが壁画なのだと直感した」

 この一節を読んだとき、その焼けた壁画がどんなものなのか見たいと思った。その願望は、わずか数秒後に達成された。日経新聞に続いて朝日新聞に目を通すと、何と66年前に焼けた法隆寺金堂壁画の写真がドーンと掲載されているではないか。これには驚いた。

 朝日新聞の1面トップは「法隆寺金堂壁画初の科学調査」という見出しの記事で、66年前に焼損した壁画の総合調査が始まるというニュースである。社会面には一般人には見ることのできない焼けた壁画の写真も掲載されている。このニュースは、「私の履歴書」が掲載されている日経新聞には載っていない。総合調査をする「保存活用委員会」に朝日新聞社も参加するそうなので、朝日新聞だけに掲載されたニュースのようだ。

 絹谷幸二氏の「私の履歴書」の法隆寺金堂壁画の話が朝日新聞のニュースと同日掲載になったのが単なる偶然かどうかはわからない。2紙を併読している読者にはうれしい連動だったのは確かだ。別の事象に見える事柄のあいだ何らかの繋がりを発見するのは刺激的で心地よい体験である。それは、さまざまな事項が一覧的並列的に掲載されている新聞を読んでいるときに得られることが多い。

 それにしても、写真から伝わってくる焼け残ったモノトーンの壁画の不気味な迫力には圧倒される。私が生まれた直後の66年前に焼損した壁画が、今回の調査を経て一般公開されることを期待する。

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