1年がかりで『ローマ帝国衰亡史』を読了2015年02月11日

『ローマ帝国衰亡史(6~10)』(E・ギボン/ちくま学芸文庫)(6は朱牟田夏雄・中野好之訳、7~10は中野好之訳)
◎読みやすくはないが楽しめた

 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』(ちくま学芸文庫)全10巻をやっと読了した。1巻目を読み始めたのが昨年3月、だらだらとした断続的読書なのでおよそ1年かかった。

 私にとって読みやすい本ではなかった。本書が読者に求めている教養レベルに私が達していないからだ。うかうか読んでいると、すぐにわけがわからなくなる。電子辞書や歴史地図などで人名・地名・事項などを確認したり、時には前の巻をひっくり返したりしなければならない。

 すらすらとは読み進められないので、心に余裕があるときでなければ本書に取り掛かれない。にもかかわらず何とか読了したのは、やはり独特の魅力があるからだろう。

 西ローマ帝国滅亡までの前半5巻を読了したのが昨年6月末で、その時点で読後感をブログに書いた。全般的な感想はその時とあまり変わらない。第6巻を読んでいるときに気づいた小さなトピックもブログに書いた。この長大な本にはさまざまな小ネタが詰まっていて、それも魅力の一つになっているのだ。

 後半5巻になるとギボンの語り口に慣れてきたせいか、多少なりとも「ギボン節」を楽しむことができた。

◎後半5巻では時間も空間も広がる

 前半5巻はローマ帝国最盛期の2世紀から西ローマ帝国滅亡までの約500年の物語だが、後半5巻で扱う時間と空間はより広がっている。

 時間は西ローマ帝国滅亡の5世紀からコンスタンティノポリス陥落の1453年までの約1000年、空間はローマ帝国の最大領土を超えて、マホメットが登場するアラブ世界からチンギス・ハーンの広大な領土を経てシナにまで及ぶ。

 前半5巻で西ローマ帝国が滅亡したとき、この先の東ローマ帝国の歴史を語るのにさらに5巻を費やすのかと訝しく思った。高校の世界史もきちんと勉強しなかった私には東ローマ帝国はおぼろな存在で、その滅亡までの歴史にいかほどのトピックスがあるのだろうとの疑念もあった。

 後半5巻を読了して、ギボンは東ローマ帝国=ビザンティン帝国の歴史を述べているのではなく、西ローマ帝国滅亡以降1000年の世界史を西欧人の視点で述べているのだと感じた。後半5巻では、ビザンティン帝国は時に遠景となり、西欧、イスラム世界、中央アジアなどの様子が語られる。日本が登場するシーンも1カ所だけあり、ちょっと嬉しかった。元寇に関する以下の記述だ。

 「彼(フビライ)の際限ない野望は日本の征服を企図したが、その艦隊は二度にわたって難破し十万のモンゴル人とシナ人の生命がこの不毛な遠征の犠牲となった。」(第10巻、P22)

 ギボンは闇雲にあれこれの地域の歴史を語っているのではなく、あくまで「ローマ帝国衰亡」との関連で筆を進めている。だから、元寇とローマ帝国衰亡も無関係ではないことになる。チンギス・ハーンやフビライに言及しているのは、ビザンティン帝国を最終的に滅亡させたオスマン・トルコの起源がモンゴル人やタタール人に関連しているからだ。

 このように、ビザンティン帝国を取り巻く関連地域や民族の歴史を順々に記述しているので、章によって時間が進んだり戻ったりする。注意していないと頭がこんがらがってくる。

◎西欧の起源を探究した本か

 後半5巻がゴチャゴチャしていると感じられるのは、そこで語られている内容が輻輳しているからだ。後半5巻の内容は、ビザンティン帝国が衰亡していく物語であると同時に、イスラム世界が台頭してくる物語であり、かつて西ローマ帝国だった地域に西欧世界が形成されていく物語でもあり、それらが並列的に語られている。

 ギボンが『ローマ帝国衰亡史』をこのような形で書いたのは必然だったと思える。18世紀の啓蒙時代にギボンが本書を書いた動機は、単なる歴史趣味によるものではなく、自分たちが現に生きている西欧世界の基盤の探究にあったと推察できるからだ。

 ギボンたち西欧人の国家・文化・宗教などのルーツはすべてローマ帝国につながっている。彼らはローマ帝国に対して、われわれ東洋人には実感しにくい独特の思い入れがあるはずだ。本書において、ギボンはキリスト教会や十字軍をかなり辛辣な筆致で描いている。迷信を退け合理性を尊ぶ考え方はほとんど近代人であり、ギボンは近代人の精神で自分たちの歴史の総括を試みたのだと思われる。

 あらためてギボンの生きた18世紀の西欧を眺めてみると、当然のことながら現代とはかなり様相が異なっている。

 『ローマ帝国衰亡史』が刊行されたのはフランス革命前夜の時代である。イギリスとフランスの国土は現在とほぼ同じだが、イタリアはまだ統一されてなく、教皇領や両シチリア王国などいくつかの国にわかれている。ドイツのあたりには神聖ローマ帝国なるわかりにくい「帝国」がまだ残っている。ギボンは同時代のこの国を「シャルルマーニュによって復興された西ローマ帝国の名称と理念は今日も近代ドイツの特殊な国制を飾り立てている」と述べている(「神聖ローマ帝国」という名を出さないのがギボン風だ)。ギリシア、中近東、エジプトなどは、ビザンティン帝国を滅ぼしたオスマン・トルコの領土になっている。

 そんな18世紀世界から見れば、3世紀前のコンスタンティノポリス陥落はさほど昔のことではなく、時代はまだローマ帝国の残影の中にあるようにさえ思えてくる。『ローマ帝国衰亡史』を読むことで、東西ローマ帝国の歴史をたどるとともに18世紀の啓蒙時代にまで思いをはせることができたのは希有な体験で、少し得した気分になる。

◎浮世離れのロマンではあるが

 そもそも、21世紀に生きる私がのんびりと『ローマ帝国衰亡史』を読み進めている時間というのは、我ながら浮世離れしたひとときであり、それでよしと思っていた。しかし、歴史の本というのは恐ろしいもので、浮世離れのつもりでいても、つい、現代につながる読み方になることがある。

 『ローマ帝国衰亡史』のイスラムに関する話を読んでいるとき、「イスラム国」の人質事件の報道に接し、トルコとシリアの国境あたりという地域などがニュース番組と本の記述と重なり、現代につながる歴史を感じた。また、ギリシアの経済危機の報道に接していると、ギボンの語るラテン人とギリシア人(ビザンティン帝国)の対立とオーバラップし、歴史のくり返しのようにも思えてきた。

 歴史書には浮世離れのロマンがあると同時に、現在の世界を築いてきた基盤が何であるかを探るヒントがあると再認識した。