『ヒトラーの秘密図書館』を読んで政治家の蔵書公開を考えた2014年08月16日

『ヒトラーの秘密図書館』(T・ライバック/赤根洋子訳/文春文庫
 『ヒトラーの秘密図書館』(T・ライバック/赤根洋子訳/文春文庫)は面白い本だった。本屋の文庫コーナーに積まれているのを手に取ってパラパラとめくり、興味を引かれて購入し、すぐに読んだ。

 この文庫本の発行日は2012年12月、元の単行本は2010年1月だから新刊ではない。なぜ平積みになっていたのかは不明だが、本屋で手にするまでこの本のことは知らなかった。原題は Hitler's Private Library だ。「秘密図書館」という翻訳はいかがなものかと思う。「ヒトラーの本棚」ぐらいの方が惹かれる。

 学歴がなかったヒトラーは、それなりの読書家だった。どんな本をどのように読んでいたのかは気になるところだ。ヒトラーの蔵書の多くは散逸しているが、その一部(1200冊)はアメリカ議会図書館に保管されているそうだ。

 本書は、アメリカ議会図書館に保管されている蔵書を中心にした調査報告であり、特に10冊を取り上げて論じている。1冊1章、全10章の構成で、それぞれの本にヒトラーが接したであろう年齢を推定している。次の10冊である。

(1)『ベルリン』(マックス・オルボルン)ヒトラー 26歳
(2)『戯曲ペール・ギュント』(ディートリッヒ・エッカート)ヒトラー 32歳
(3)『我が闘争・第3巻』(アドルフ・ヒトラー)ヒトラー 39歳
(4)『偉大な人種の消滅』(マディソン・グラント)ヒトラー 39歳
(5)『ドイツ論』(ポール・ド・ラロルド)ヒトラー 44歳
(6)『国家社会主義の基礎』(アロイス・フーダル)ヒトラー 47歳
(7)『世界の法則』(マクシミリアン・リーデル)ヒトラー 50歳
(8)『シュリーフェン』(フーゴ・ロクス)ヒトラー 51歳
(9)『大陸の戦争におけるアメリカ』(スヴェン・ヘディン)ヒトラー 53歳
(10)『フリードリッヒ大王』(トマス・カーライル)ヒトラー 56歳(自決)

 この10冊の中で私が知っている本は1冊もない。日本語に訳されたものもなさそうだ。(6)は一般向けには出版されなかった本だし、(3)は出版されずに封印されていた原稿である。

 知らない本ばかりなのに本書が面白いのは、コンパクトなヒトラー伝になっていて、蔵書を通じて時代背景も見えてくるからだ。人間の形成にとって読書とは何かも考えさせられる。

 蔵書というと大袈裟だが、自分の本棚を他人に見られるのはあまり気持ちよくない。にもかかわらず、他人の本棚を眺めてみたいとは思う。本棚はその所有者の何かを反映している。

 本書の随所で蔵書論を開陳する狂言回しとして出没するベンヤミンは「人は自分が書物を保存しているのだと信じて書物を収集しているが、実際には、書物の方がその所有者を保存しているのだ」と述べている。この見解が本書のモチーフである。

 とは言っても、読むあてがない本をどんどん買いこむ人もいれば、読み終えた本を次々に処分する人もいる。本棚に並べる本と本棚から隠す本を仕訳る人もいれば、読書の大半は図書館の本という人もいる。ベンヤミンは「愛書家のほとんどはそのコレクションのせいぜい10パーセントの本しか読んでいない」とも述べている。だから、本棚がそのまま所有者の鏡にはなり得ない。にもかかわらず他人の本棚に興味がわくのは、そこに所有者の無意識すらも露わにするヒントが潜んでいると思われるからだ。

 そんなことを思っているから本書に惹かれたのだ。ヒトラーそのものが興味深い人物だから、その蔵書が興味をひくのは当然だ。しかし、一部とはいえ自分の蔵書を露わにされて論じられるヒトラー自身には少々気の毒な気がしないでもない。

 ヒトラーは学者でも著述家でもなく、体系的な読書をしていたとは思えない。雑然とした読書をしてきたようだ。ハウツー本、オカルト本、冒険小説、パンフレット類なども読んでいる。私のような一般人と同じだ。雑多な蔵書とも書かれているが、世の大半の人の蔵書は雑多である。名著ばかりが整然と並んでいる蔵書なんて、あまり面白そうではない。

 ヒトラーの読書態度は、自分の考えに都合のいいものを拾い集めているだけとも言われている。これもヒトラーに限ったことではない。誤読力も立派な読書力かもしれない。大思想家Aが大思想家Bを誤読して大思想A主義を構築した、なんてこともあったかもしれない。

 本書で興味深く思ったのは、ヒトラーの人種差別思想を補強したのがアメリカ発の本だったことだ。一つは(4)の本で、ダーウィンを俗流解釈した人種差別的な社会ダーウィニズムのネタ本である。もう一つは自動車王ヘンリー・フォードの反ユダヤ本『国際ユダヤ人』だ。ヒトラーはオフィスの壁にフォードの肖像写真を貼っていたそうだ。20世紀初頭のアメリカがヒトラーの思想を育んだとすれば歴史の皮肉だ。現代のタリバンやイラクを連想する。

 また、ヒトラーと高名な探検家ヘディン(スウェーデン人。ヒトラーより24歳年長)との交友にも驚いた。ヒトラーはヘディンの探検記を愛読しており、総統になってからはヘディンと交友していたそうだ。中学か高校の時に教師から聞かされたヘディンの『さまよえる湖』などの話にはワクワクしたが、ヒトラー関連の話は初耳だ。(9)は、ヘディンがアメリカに対して参戦しないように説いた論文で、ヒトラーはこの論文に勇気づけられたらしい。

 ヒトラーが第一次大戦の一兵卒だったときに購入した(1)は、ベルリンの文化財を紹介したガイドブックで、芸術家指向のヒトラーの興味を引いたようだ。著者がユダヤ人だったため、この本は後にナチスの焚書の対象になるが、ヒトラーの書架にあったため焚書をまぬかれたというエピソードが面白い。

 確かに蔵書は、所有者が思いもかけなかったことを伝えることがある。

 本書を読みながらふと思った。安倍晋三氏の本棚を眺めてみたいと。おそらく公開はされていないだろう。すべからく政治家には、資産公開と同じように蔵書公開を義務付けたら面白いと思う。公開前に蔵書を粉飾整備するのをOKにしても、なおいろいろなものが見えてくるだろう。

 本書の「あとがき」で著者は、狂言回しベンヤミンの最期に触れている。ナチスの迫害を逃れてハンナ・アーレントらとドイツを脱出したベンヤミンはフランスとスペインの国境で自殺する。先日読んだ『ハンナ・アーレント』の記述とつながったので、ちょっと得した気分になった。さして意味はないが。

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