『おおづちメモリアル』で少年時代へタイムスリップ2014年07月23日

『おおづちメモリアル』(榊原隆介/作品社/2008.3)
◎少年時代の情景が甦ってくる

 『おおづちメモリアル』(榊原隆介/作品社)という小説を読み、懐かしさに泣けて、思い出ポロポロ状態になった。
 舞台は岡山県玉野市、時代は昭和35年、主人公は小学生、私の少年時代とそっくり重なっている。小説を読み進めながら、記憶の底から遠い昔の情景が少しずつ浮きあがってくるゾクゾク感を味わった。

 この小説のことは、当ブログにいただいた コメント で知った。玉野市のことを書いたところ、「通りすがり」の同郷の方から紹介されたのだ。

 『おおづちメモリアル』は第九回 岡山・吉備の国「内田百閒文学賞」受賞作で、出版されたのは6年前だ。著者の榊原隆介氏は略歴によれば昭和23年生まれ、私と同い年である。

 小説は昭和35年夏の渋川海水浴場から始まる。私は子供の頃、夏休みにはほぼ毎日のように渋川海水浴場に通っていたから、一気に小説の世界に引き込まれた。

 明晰で素直な語り口の少年小説で、主人公の晋介は著者を投影した人物だと思われる。昭和35年夏、晋介は小学5年生である。著者と同じ昭和23年生まれの私は昭和35年夏には小学6年生だったので、1年の違いが少し気になった。

 タイトルの「おおづち」は海岸からよく見える三角形の無人島で、私もこの島を眺めながら育ってきた。数年前に亡くなった父が撮りためた写真にもおおづちが写っているものが何枚かあった。その中の1枚を掲載した。

 小説の舞台や出来事は、私の記憶につながる部分もあるし、知らない部分もある。
 渋川海水浴場に「黒い花びら」の水原弘が来たエピソードは記憶にない(地元に宮城まり子が来た記憶はある)。
 この小説のシンボルである「おおづち」が火事になったことはかすかに憶えているが、燃える様子は目撃していない。

 ・・・そんなことを書き連ねるとキリがないのだが、晋介の通う小学校は、私の通った第二日比小学校(渋川海水浴場に一番近い小学校)とは違うと感じた。読了後、小説の記述と地図を照らし合わせて、晋介が通っていたのは隣りの日比小学校だと推定できた。近所とも言えるが別の地区なので微妙に体験が異なっているのかもしれないと思った。

◎50年前の記憶を探る

 この小説を読み終えてしばらく経って、ふと気付いた。小学校は違っていても、私と晋介は中学は同じだったはずだ。小学生を主人公にした小説なので中学までは思いいたらなかった。日比小と第二日比小の卒業生はすべて日比中学に進学することになっていたのだ。

 そう思って、あらためて著者の「榊原隆介」という名を眺めた。知らない名前だ。だが、気になるので、本棚の奥から中学の卒業アルバムを引っ張り出して調べてみると、別のクラスに「榊原隆介」がいた。もちろん写真もある。著者はこの写真の少年だと推察される。

 その少年の写真をしばらく眺めたが記憶は甦ってこない。われわれは団塊世代で、中学は10クラスあり、1クラスは50人以上だった。五百数十人の同学年をすべてを憶えているわけではない。

 とは言っても、卒業アルバムの3年生の時は別のクラスでも、1年か2年で同じクラスだった可能性はなくもない。

 そんなことを考えていると、50年という時間の彼方から「サカキバラ」とう名とともに、教師と生徒のある会話シーンがぼんやりと浮かび上がってきた。教師は中学の数学教師だった。以下のような会話だ。
 教師「サカキとは、神さまにそなえる木のことだ」
 生徒「せんせい、それはチャチャキです」
 教師「では、おまえはチャチャキバラなのか」

 この記憶が事実なら、私は榊原氏と同じクラスだったことになる。
 そんなかすかな記憶をふまえて、あらためて卒業写真の榊原隆介少年を眺めていると、知った顔のようにも思えてきた。

 65年も人生をやっていると、自分の記憶力のあやふやさは自覚しているし、記憶の捏造があることもわかっている。卒業写真を凝視しながら記憶の捏造が始まっているのかもしれない。