現代を反映した『新・ローマ帝国衰亡史』2014年07月21日

『新・ローマ帝国衰亡史』(南川 高志/岩波新書)
◎21世紀のローマ帝国衰亡史

 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読了してから読もうと思っていた『新・ローマ帝国衰亡史』(南川 高志/岩波新書)を、ギボンの前半読了段階で読んだ。西ローマ帝国の衰亡がメインテーマだろうと推察したからだ。

 この岩波新書と著者・南川高志氏(京大教授)については、今年4月19日の日経新聞文化面の記事で知った。「ローマ帝国滅亡に新解釈 --- 変容説との議論活発に」という見出しの記事だった。西ローマ帝国の衰亡に関する最近のいろいろな学説を紹介し、「(ローマ帝国の)衰亡をめぐる議論は、現在の国際情勢を考える上でも参考になりそうだ」としていた。

 本書のオビには「歴史学の最新の成果が描き出す21世紀の帝国衰亡史」とあり。興味をそそられる。

 まず、本書によって認識を新たにしたのは、歴史解釈は時代の産物だということだ。解釈者の生きている時代状況が歴史の見方に反映されるのは、考えてみれば当然のことではある。「歴史に学ぶ」「歴史を学ぶ」ことの面白さと微妙さを感じる。

 というわけで、2013年5月に出版された本書は、現代のわれわれの時代状況を反映した帝国衰亡史である。

◎寛大で流動性が高く、国境の曖昧な帝国

 著者は、ローマ帝国を「地中海帝国」と見るのではなく、アルプス以北の広大な帝国領(辺境)にウエイトを置いた「大河と森」の帝国と見なければならないという。この地域が帝国の帰趨を決める舞台だったからだ。

 この地域におけるローマ帝国の境界は大河や防壁だが、それは軍事境界線ではなかったらしい。考古学的裏付けによれば、これらの境界を越えて多くの人や物が往来しており、境界地帯はさまざまな人が混ざって生活するゾーンだったようだ。ローマ帝国とは「国境線なき帝国」だったのだ。

 また、最盛期の帝国を担っていた「ローマ人」そのものも曖昧な存在だった。「ローマ人」とは部族や民族の名称ではない。「ローマ人」になるには、出自は関係ない。ローマ国家の約束ごとに従い、その伝統と習慣を尊敬する者なら誰であろうと「ローマ人」になれたのだ。
 また、ローマ帝国は身分制の社会だったが、その身分も固定的ではなく、社会的流動性は高かった。

 そんなローマ帝国は強力な軍隊によって維持されていた。だが、ローマ帝国を国家として実質化させていたのは軍隊そのものではなく、「ローマ人である」という兵士たちの自己認識だった、と著者は指摘する。本書のポイントである。

◎「ゲルマン民族」は存在しなかった

 ローマ帝国の衰亡といえば、ゲルマン民族の大移動が思い浮かぶが、「ゲルマン民族」というくくり方には問題があるそうだ。「ローマ人」が特定の民族を示さないとの同様に、「ゲルマン人」「ゲルマン民族」という呼称で固定的な集団を特定することはできないらしい。
 そもそも、当時のローマ人の間には「民族」という区別の観念が存在しなかった。敵対する人々を「蛮族」と見なす意識があっただけだ。
 「民族」へのこだわりが発生したのは近代になってからである。

 ローマ人が蛮族に悩まされたのは確かだが、「ローマ人」になってしまう蛮族も多かった。蛮族出身の将軍は多く、皇帝になった者もいる。ローマ帝国はコントロールされたフロンティアの新たな活力によって隆盛を維持していた。「ローマ人」というアイデンティティが、排除ではなく統合の機能を果たしていたのだ。

◎アイデンティティの変質と「排他的ローマ主義」の発生

 隆盛を維持していたローマ帝国は、フン人に追われたゴート族の侵入をきっかけに変質していく。
 統治能力の衰えた皇帝がフロンティアを放置して現地まかせにし、「ローマ人」だった地方有力者が下層農民を支配下におくことで独立意識がめばえる。そして、「ローマ人である」という自己認識は薄れていく。
 また、ゴート族の侵入によって外部部族出の人々への嫌悪感がローマに広がり、キリスト教の国教化によって非キリスト教徒を排斥する動きが出てくる。そして、「排他的ローマ主義」ともいうべき偏狭な保守思潮が発生する。
 著者はこの時代の様子を次のように述べている。

〔四世紀の後半、諸部族の移動や攻勢を前に「ローマ人」のアイデンティティは危機に瀕し、ついに変質した。そして、新たに登場した「ローマ」を高くかかげる思潮は、外国人嫌いをともなう、排斥の思想だった。つまり、国家の「統合」ではなく「差別」と「排斥」のイデオロギーである。これを私は「排他的ローマ主義」と呼んだが、この思想は、軍事力で実質的に国家を支えている人々を「野蛮」と軽蔑し、「他者」として排除する偏狭な性格のものであった。この「排他的ローマ主義」に帝国政治の担い手が乗っかって動くとき、世界を見渡す力は国家から失われてしまった。国家は魅力と威信を失い、「尊敬されない国」へと転落していく〕

 この一節を読んで、現代のわれわれの世界のアレコレを連想する人は多いだろう。

 著者によれば、ローマ帝国は370年代中頃までは劣勢ではなかった。それが、5世紀初めには実質的に滅亡してしまう。数百年の繁栄を誇った帝国はわずか30年で滅んでいったのである。
 著者は、ローマ帝国は外敵に倒されたのでなく、自壊したのだと述べている。

 「自分はローマ人だ」と自己認識する人がいなくなると、ローマという帝国は霧消する。当然とも言える。それが、悲しむべきことなのか、喜ばしいことなのかは、よくわからない。