サイパン訪問記(2):北マリアナ諸島博物館の不思議な魅力2014年04月03日

北マリアナ諸島博物館、松江春次の銅像、博物館ドアの掲示
◎博物館に期待

 今回のサイパン旅行では北マリアナ諸島博物館にはぜひ行きたいと考えていた。この博物館に行った人がネットに書いている情報などで、日本統治時代のガラパン市街の様子を伝える資料が展示されていると知ったからだ。ネットに掲示されている館内の写真から、義母の父親の商店が載っていそうな地図も展示されていると思われた。

◎博物館の開館日は何曜日か

 北マリアナ諸島博物館に行こうと決めたのはいいが、開館日がなかなか確認できなかった。

 最新のガイドブック(『地球の歩き方:サイパン '13~'14』)では「土・日曜・祝祭日休館」となっている。3泊の短い旅行なので休館日に当たらないように日程を組まなければならない。当初、金曜日に博物館に行く計画にした。

 念の為にネットで調べると、この博物館の休館日に関する情報は錯綜していた。  YouTubeに投稿されている宣伝動画(https://www.youtube.com/watch?v=jf9WG3LZTpo)では月曜から日曜まで毎日開館しているとうたっている。2007年の投稿なので、その後変更になったのだと判断した。
 日曜・祝祭日休館で土曜は開館しているとの情報もあったが、これも古い情報だろうと推察した。

 その後、開館は月曜から木曜という情報を発見した。金曜日も休館だとすれば、日程を組み変えなければならない。

 こういう時は博物館のホームページで直接確認するべきだ。しかし、そのホームページがなかなか見つからない。この博物館の正式名称は Northern Mariana Islands Museum of History and Culture (北マリアナ諸島歴史文化博物館)のようなので、それで検索しているうちに、やっとホームページらしきものに遭遇した。しかし、それは仕掛中のぺージで開館日などの基本情報すら載っていなかった。

 しかたがないので現地に電話することにした。電話番号はガイドブックやネットの情報で「664-2160」と確認できた。英語力に自信はないが、日本から「010-1-670-664-2160」とダイヤルすると、なにやらアナウンスが流れて切れてしまった。「あなたのかけた電話番号は一時的に使われていません」と言っているようだ。

 この博物館はすでに閉館になっているのではなかろうかとの疑念がわいた。現地のツアー会社にメールで問い合わせてみると「最近は金曜日も休みのようです。弊社から連絡を取ろうとしたところ、電話がつながらなくなっていました」というメールが返ってきた。

 様子がよくわからないまま、博物館行きを月曜に変更した計画を作り、出発した。出発の直前に再度電話を入れてみたが、以前と同じメッセージが流れるだけだった。

◎博物館は開館していた

 サイパン旅行三日目の月曜日、午前中はサブマリンツアーに参加し、海中の珊瑚礁や沈没船の残骸などを見た。午後、いよいよ北マリアナ諸島博物館に赴いた。

 この博物館は旧日本病院の建物を改装したもので、ホテルから徒歩15分ぐらいの場所にあり、サイパン開発に貢献した砂糖王・松江春次の銅像が建つ砂糖王公園に隣接している。

 北マリアナ諸島博物館はひっそりとしたたたずまいで、入口のドアには「OPEN」の表示があった。ホッとした。ドアに料金表を掲示しているのに、ドアを開けてもチケット売場らしきものはない。そのまま展示室に入ると「Donation」と書かれた箱があったので、入場料相当の紙幣を入れた。どうやら、無人運営の博物館のようだ。われわれの他に人はいない。

 展示はそれなりに充実していて、興味深かった。古いガラパン市街の地図で義母の父親の商店の場所も確認できた。
 この博物館は日本統治時代の資料だけを展示しているのではない。それ以前のスペイン統治時代の資料も多いが、やはり、私たちにとっては日本統治時代のものに興味を引かれる。

◎時間が止まったような空間

 無人の博物館にもかかわらず、入口の脇には小さな売店があった。わずかばかりの商品や書籍が並んでいて、呼び鈴を置いてある。購入したいときにはこれを鳴らすようだ。無人ではなかったのだ。そう言えば、入口の開館時間の表示に、ランチタイムは閉館と表示されていた。

 ガヤガヤと商品を眺めていると、奥から髭面の若い男性が出てきた。日本語が通じない人だったが、カミさんが義母の昔の写真を見せながら身ぶりとカタコトで義母のことを伝えた。彼は「ナイス! ナイス!」と愛想をふりまいた。入場料について聞くと「フリー」と言っていた。入口に料金表を貼り出しているのに、なかなかアバウトである。

 この売店で書籍を2冊購入した。「サイパン燃ゆ:1944年6月の侵攻」「サイパン:マリアナ諸島写真集」の2冊で、いずれも20年前の1994年に発行されたものだ。博物館の展示品を紹介する冊子が欲しかったが、そんなものは置いてなかった。

 博物館を出るとき、あらためて建物を眺めた。この建物は日本統治時代の昔の病院だから、遺跡か廃墟のように見える。入口には「CNMI MUSEUM」という色あせた地味な看板があるだけだ(CNMIはCommonwealth of the Northern Mariana Islands:北マリアナ諸島連邦)。
 ネットで見た写真には、もっと目立つ大きな看板(布製か?)が掲げられていたが、いまでは取り払われている。

 2007年頃には毎日開館していたこの博物館は、やがて日曜閉館になり、さらに土・日曜閉館になり、現在では金・土・日曜閉館になっている。これも、戦跡に関心をもつ観光客が減り、過疎化がすすんできた現れなのだろう。

 訪れる人が少なく、静かにたたずんでいるこの博物館には独特の魅力がある。20年前の写真集を売店に並べている北マリアナ諸島博物館は、時間が止まったような空間だった。。

◎往時の繁栄を偲び、現状を考えるが…

 北マリアナ諸島博物館の日本統治時代の展示からは、往時のサイパンの繁栄が偲ばれる。現在のサイパンの産業は観光だが、当時のサイパンは日本の軍事基地であると同時に製糖業の一大拠点だった。

 松江春次の尽力で創業した国策会社・南洋興発は海の満鉄と呼ばれ、製糖業を中心にさまざまな事業を展開し、軽便鉄道も敷設した。当時の地図を見ると、サイパン島のいたる所までに鉄道が走っているのにおどろかされる。現在ではまともな道路もなくジャングルになっているカラベラ地区も、当時は日本人の集落があり鉄道が走っていたのだ。

 現在のサイパンには製糖工場も鉄道もない。サイパンに上陸した米軍がこれらの施設を破壊し、その一部は現在ではジャングルに戻っている。

 昨日のツアーの日本人ガイドは「サイパンの人は今でも、日本統治時代が一番よかったと言っています」と語っていた。日本人の話だから割り引いて聞くとしても、軍国時代の日本人の開拓者魂は評価しなければと思う。

 ただし、現在のサイパンに何が必要なのか、何をするべきなのか、海外資本の力で観光開発を続けるのか、別の道も探すべきなのか、私にはわからない。

◎ホームページがあった

 帰国後、ネットを検索していると北マリアナ諸島博物館のホームページ(http://cnmimuseum.wix.com/welcome#! )を発見した。以前に見つけた仕掛中のページが完成したのだろうか。記憶があいまいで、はっきりしないが、キツネにつままれた気分だ。
 このページに掲載されいる開館日や開館時間は博物館の入口に掲示されているものとは微妙に違っている。
 メールでの問い合わせもできるようになっている。旅行前にこのぺージにアクセスしていれば活用できたのにと思った。
 ホームページには電話番号も掲載されている。その番号は670-664-2164だ。私がかけた番号と下ひとケタが違っている。ガイドブックをはじめネットのいろいろなページに掲示されていた番号は間違いだったのだろうか。あるいは何かの事情で電話番号を変更したのだろうか。

 謎の多い、不思議な博物館である。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
ウサギとカメ、勝ったのどっち?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://dark.asablo.jp/blog/2014/04/03/7271308/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。