やなせたかし氏逝去を契機に昔の雑誌を再読2013年10月20日

『別冊宝石:ショートショートのすべて』(1961.7.15)、『週刊朝日』(1967.7.7)、『朝日新聞』(1967.7.1)
 やなせたかし氏が94歳で亡くなった。私の関心領域からは遠い人だが、アンパンマンの作者を悼み讃える報道に接しながら、かすかに心に引っかかるものがわいてきた。
 気がかりの淵源をさぐると、50年近く昔に接したやなせたかし氏の作品のおぼろげな印象が甦ってきた。その印象を確認すべく、本棚の奥から該当作を探し出し、読み返してみた。
 そして、大ヒット作品をもつハッピーな長寿マンガ家というイメージの裏に鬱屈したシコリのようなものを私が感じていたことに気付いた。

 読み返したのは『別冊宝石:ショートショートのすべて』(1961年7月15日発売)という雑誌に掲載された「MR.USUPPERAIの最期」というタイトルのショートショートだ。
 私がこの雑誌を古本屋で購入したのは高校1年の頃(1964年頃)だ。収録されている数十編のショートショートすべてを読んだはずだが、ほとんどの作品の内容はすでに失念している。
 なのに、やなせ氏の作品の印象が残っていたのは、それが傑作だったからではない。異様だったからである。

 約50年ぶりにこの作品を読み返してみて、作者の屈折を表出した私小説のような異色のショートショートだと再確認した。意外な結末を用意したシャレた話やシュールな散文詩のような作品が多い『別冊宝石:ショートショートのすべて』の中で「MR.USUPPERAIの最期」は確かに「浮いて」いる。
 3ページのこの作品は「やなせ」という名のマンガ家の一人称で書かれ、結末は安保闘争のデモになっている(収録誌の発行は60年安保の1年後)。「MR.USUPPERAI」という架空の存在に、自身の中にある背伸びしたインテリ指向の浅薄さを仮託し、そんなものを捨て去りたいという思いで書いた作品のように読める。

 再読して、次のような告白的文章が記憶の奥に残っていたのだと気付いた。

 「ボクは文化人名簿にのせられているから安保には反対だが、ほんとは安保のことがよくわからず、だから、デモの行列にゆきあうと、いつも劣等感におそわれて、今日こそ家へ帰ったら、安保条約を原語と日本語でよく読んで、心の底から反対しようと決心するのだが、家へ帰ると、プロ野球のテレビ放送をみて、それから実話雑誌で「七人の男に輪姦された娘」という記事を読んで寝てしまうのであった。」

 高校生だった私がやなせ氏に共感したわけでも感心したわけでもないが、ヘンなものを読んでしまったなというザラついた印象が強く残ってしまったのだ。メルヘン調の絵を描く人の意外な内面を垣間見たとまどいもあった。

 やなせたかし氏に関しては、もうひとつの遠い記憶も浮かび上がってきた。週刊朝日の懸賞連載マンガに入選した「ボオ氏」という作品である。この記憶もやなせ氏に屈折を感じる要因のようだ。

 1967年、週刊朝日は半年分(26回)の連載マンガを募集する大型懸賞企画を打ちあげた。賞金は100万円でプロもアマも応募できた。週刊朝日がまだ元気だった時代だ。
 入選したのはプロ作家のやなせたかし氏だった。入選発表と連載開始は1967年7月7日号で、1967年7月1日の朝日新聞「人」欄でも「週刊朝日の百万円懸賞連載マンガに入選したやなせたかし氏」として紹介された。かなり大きく報道された一大イベントだったのだ(当時の切り抜きが残っているのは、われながらたいしたものだ。実は半年前に転居し、古い資料を総ざらえしていたので、探索しやすくなっていたのである)。

 入選発表時の週刊朝日の記事でやなせ氏は「私はこれで本当のマンガ家になれるかもしれない」と述べている。当時、やなせたかし氏は48歳で、かなり知名度のあるマンガ家だった。そんな人がこんなことを述べるのは謙虚とも言えるが、やはりある種の屈折を感じてしまう。朝日新聞の「人」欄が「ニヒルな表情が、フッと影のように通り過ぎる人である。」と結んでいるのも暗示的だ。

 そう思うのは、鳴物入りで世にでた「ボオ氏」も、結局は忘れられた作品になってしまったからだ。26回の連載終了の後、やなせ氏の作品が週刊朝日に載ることはなかったと思う。この作品を契機に、やなせ氏が「本当のマンガ家」になったかどうかは不明だ。受賞時に知名度のあるマンガ家だったのだから、その状況が受賞後も持続しただけのように感じられる。
 やなせ氏逝去の報道で「ボオ氏」入選に触れている記事は見当たらなかった。ネットを検索しても、この作品に関する情報はほとんどない。もちろん、その後の「アンパンマン」の大ヒットによって、それ以前の作品の影が薄くなってしまったということもあるだろう。
 
 1960年代のやなせたかし氏は40代で、もう若くはない。そんな中堅マンガ家が鬱屈したショートショートを発表したり「本当のマンガ家になれるかも・・・」などとつぶやく姿が、まだ若かった私(当時10代後半)に気がかりな印象を刻印し、やなせ氏の逝去をきっかけにそれが甦ってきたのだ。

 すでに60代半ばの現在の私から見れば、40代のやなせ氏の姿は特殊でも異様でもなく、だれでもがもっている屈折を抱えていただけだとわかる。また、自分自身に正直な人だったのだとも思う。