『まぁ映画な、岡山じゃ県!』と言われれば、まぁええか2013年07月07日

『まぁ映画な、岡山じゃ県!』(世良利和/蜻文庫)
 『まぁ映画な、岡山じゃ県!』(世良利和/蜻文庫)という本を読んだ。
 朝日新聞夕刊の紹介記事でこの本を知り、読んでみたくなった。AMAZONで注文しようとしたが、検索でひっかからないので、版元のWebを探して直に購入した。「蜻文庫」が版元の名で、「蜻」は「あきづ」と読む。岡山市の地方出版社のようだ。今どき、ネット書店で購入できない本も珍しい。手に取って眺めると、裏表紙にISBNコードはあるがバーコードが印刷されていない。これが、ネット書店で購入できない理由なのだろうか。

 閑話休題。本書は岡山を舞台にした映画紹介であり、いしいひさいち氏の4コマ漫画が各章に掲載されている。岡山県出身で、同郷のいしいひさいちファンである私としては読まないわけにはいかない。
 著者は岡山在住の映画史研究家で、年期の入ったいしいひさいちファンだそうだ。いしいひさいち氏に岡山ネタ本を依頼したいという年来の願望を実現させるために出版社(蜻文庫)を立ち上げたそうだ。いい話である。
 そういう経緯で誕生した本書は、岡山県が映画の中でどのように扱われているかを語るオモシロエッセイといしいひさいち氏の4コマがうまくマッチし、絶妙な味わいがある。秀逸な書名が象徴しているとおりの内容だ。

 この本で取り上げている映画は24本で、私が観たのは6本しかなかった。本書を知って私が思い浮かべた岡山舞台の映画の何本かは収録されていなかった(『カンゾー先生』『図々しい奴』など)。考えてみれば、日本には47都道府県しかなく、これまでに夥しい数の映画が作られてきたのだから、何らかの形で岡山県が出てくる映画は、47分の1よりはかなり少ないにしても相当数あるはずだ。

 観てない映画に関するエッセイやマンガも十分に楽しむことができた。その一つの理由は、映画の舞台の多くが多少の思い出につながっているからだ。私が岡山県で暮らしたのは15歳までで、その後の約50年は東京暮らしだ。そのせいか、本書を読み進めていると、自分が中学生に戻ったような気分になった。懐かしいローカル地名で遠い記憶が刺激されるのだ。時には追憶に浸るのも悪くない。

 観ていない映画の話を楽しむことができた最大の理由は、紹介文が面白いからである。観ていない映画のあらすじを本書で読んでいると、ときにその荒唐無稽さに唖然とする。そんな映画でも、著者の絶妙なツッコミに誘われてその映画を観たい気分になってしまう。著者の筆力のなせる芸である。

 それにしても、本書を読みながら「あらすじ」というものの奇妙さを考えてしまった。あらすじが変テコでも面白い映画もあれば、あらすじが面白くても実はつまらない映画もありそうだ。映画や小説のあらすじは、書きようでどうにでも書けてしまうものであり、映画や小説をあらすじで理解することはナンセンスなのだと思われる。ディテールの積み重ねには違和感がないのに、その全体をあらすじで語ってしまうと変テコなものになってしまうということはありがちだ。シェイクスピアやドストエフスキイの名作でも、あらすじの書きようによってはとんでもなく変な物語になってしまうかもしれない。
 世の中には「あらすじ」という現実はないのだと思う。

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