高木仁三郎と小林よしのりの脱原発論2012年09月24日

『高木仁三郎セレクション』(佐高信・中里英章編/岩波現代文庫)、『ゴーマニズム宣言SPECIAL 脱原発論』(小林よしのり/小学館)
 早いもので、脱原発の論客・高木仁三郎氏が大腸癌で亡くなってから12年経った。2000年12月に日比谷公会堂で開催された「高木さんを偲ぶ会」には私も足を運んだ。2階席から会場を見渡し、参加者の多さに驚いた。
 私のような物見高いミーハーも混ざっていただろうが、高木氏の活動に関心をもつ人が多いことをあらためて認識した。
 あの頃、私は明確に「反原発」という考えではなかった。電力は社会に不可欠なものであり、原発はないに越したことはないが必要悪のようなものだろう、という中途半端な考えだった。

 昨年の3.11によって自分の考えの甘さを思い知り、考えが変わった。今では、原発を廃止すべきだと考えている。われながら軽薄で付和雷同と思うが仕方ない。
 そんな私だが、3.11以前から高木氏の著作はいくつか読んでいた。3.11以降、何冊かを読み返した。現金なもので、3.11以前と以降で読み方が変わってくる。昔は文明論的に読み、今は現実的問題の所在を確認するために読んでいる……そんな違いだろうか。

 高木氏の著作は『高木仁三郎著作集』(全12巻、七つ森書館)にまとめられているが、その膨大な業績をコンパクトにまとめた本が出た。 

 『高木仁三郎セレクション』(佐高信・中里英章編/岩波現代文庫)

 初期論文から最晩年の手記までを一望できる一冊で、これを読んだだけでも、高木氏が考えていたことの輪郭をつかめる。そして、高木氏が3.11のフクシマを予見し警告していたこともよくわかる。

 少壮科学者としてスタートした高木氏は、31歳で都立大学助教授に就任するが35歳で辞職し、「在野の科学者」という特異な立場での活動を続ける。そして62歳で大腸癌で亡くなる。

 本書で興味深く感じたのは、大学を辞めるときに巻き起こった大学人による強烈な慰留の件りだ。高木氏が期待される優秀な人材だったということもあるだろうが、アカデミズムというムラ社会の家族意識の強さが伝わってくる印象的な逸話だ。

 本書収録の最も古い文章は、『朝日ジャーナル 1970年4月26日号』掲載の『現代科学の超克をめざして --- 新しく科学を学ぶ諸君へ』という論文だ。
 この文章を読んでいて、40年以上前の学生時代に『朝日ジャーナル』でこれを読んだことを思い出した。かすかな記憶が甦ってきて、なつかしく感じた。「<近代>の超克」「人間としてのトータリティの復権」などという言葉が出てくる。いまの私がこれらを「生硬ながら初々しい」などと評するのは傲慢だろう。その後の高木氏の思想が予見でき、現在においてもなお切実であろう課題を提示しようとした論文である。

 本書には、癌に侵されて余命いくばくもないときの手記も掲載されていて、身につまされる。この手記に明示されているわけではないが、高木氏の生涯を見つめると、高木氏の発癌は若い研究者時代に多量の放射線を浴びたせいではないかと思われてくる。身を挺して原発の危険性を表現したようにも思えるし、キュリー夫人も連想する。

 『高木仁三郎セレクション』読了後、続いて『ゴーマニズム宣言SPECIAL 脱原発論』(小林よしのり/小学館)を一気に読んだ。

 久々に『ゴーマニズム宣言』を読んだ。本書の小林よしのり氏は「脱原発」を熱く主張し、原発推進の自称保守派を例によって激しく非難している。また、原発に対して中庸という立場はないと言い切っている。

 小林よしのり氏はわかりやすさとわかりにくさを兼ね備えた不思議な人だが、本書の主張は明快で、私には概ね納得できる内容だ。本書は原発の脅威を誇張していると感じる人がいるかもしれないが、私はそうは思わない。小林氏は原発の危険性の本質を把握しているだけのだ。

 例によって『ゴーマニズム宣言SPECIAL 脱原発論』にはいろいろな論客が登場する。この本を『高木仁三郎セレクション』読了直後に読んだ動機の一つは、高木仁三郎氏が出てくるかなと思ったからだ。しかし、出てこなかった。3.11の時点で故人だったのだから当然かもしれない。
 だが、高木氏が予見し、敷衍した考えは本書にも反映さていると感じた。原発の危険性の本質を把握しているからだ。