幕末維新に歴史変動の予兆を読み解くヒントを求める2011年06月16日

 これからしばらく(数カ月程度か?)、幕末史をプチテーマとして、少し勉強してみようと思う。きっかけは東日本大震災とその後の政治状況の混迷だ。
 自然変動と歴史変動は連動していると指摘した『安政江戸地震:災害と政治権力』(野口武彦/ちくま学芸文庫)を読んだ影響もあり、歴史変動の始まりに直面しているような気分になったからだ。

 歴史変動とは時代が大きく変わることだが、私自身は歴史変動を体験したことがあるだろうか。私が生きてきた六十数年の間に世の中は随分変わった。予想もしなかった変わり方をしたと言える。しかし、歴史変動と呼べるほどの激動を体験したとは言えない。
 20世紀末から21世紀にかけて、ロシア、東欧、中国などでは歴史変動があった。同時代人として私はそれらを目撃はしたが、体験したわけではない。
 
 仮に歴史変動を体験したとしても、歴史が大きく動くさまを同時代の人間がリアルタイムで把握するのは難しそうだ。
 歴史が動くとはどういうことなのか、その実相をマクロやミクロの多様な視点から知るには、やはり、歴史から学ぶのが近道だと思う。

 わが国が体験した最近の歴史変動は、1945年の敗戦と幕末維新である。1945年の敗戦は、そこに至るいろいろな経緯はあるにせよ、かなりわかりやすい歴史変動だった。それに比べて、幕末維新にはわかりにくい点が多い。大きな歴史の転換があったのは確かだが、その実態は複雑だ。

 歴史変動の予感のなかで、われわれが直面している現代の動きを読み解くヒントを得るには、比較的単純な歴史変動だった敗戦よりは、群像が蠢いて歴史が動いた幕末維新を勉強する方か適切だと思う。

 勉強と言っても、史料を渉猟して史学に踏み込もうなどという殊勝な向学心はない。自分なりに、歴史変動の実相を把握したいだけだ。情況の変化によって時代が動くさまをある程度追体験でき、世の中の劇的変化とはこういうことなのかと、それなりに納得できればと思う。
 そして、大震災と原発事故の後にやってくるかもしれない時代の変わり目を、自分の目でつかみ取ることができれば面白いだろう。
 そう簡単なことではなさそうだが。

 手始めに『幕末気分』(野口武彦/講談社)と『幕末史』(半藤一利/新潮社)を読み、ついでに、以前読んだ『敗者から見た明治維新』(早乙女 貢/NHK出版)を再読した。

 『幕末気分』を読んだのは、同じ著者の『安政江戸地震:災害と政治権力』の流れを汲む本だからだ。歴史変動に直面した幕末を「気分」という言葉でとらえている所に、時代を越えて私たちの同時代に通底するものを感じた。

 半藤氏の『幕末史』は、幕末の通史のおさらいのつもりで読んだ。反骨の著者の語り下ろしは予想通りの面白さだった。
 半藤氏は明治維新を「ヴィジョンなき革命」だったと見ている。この視点は、会津藩士の末裔でガチガチのアンチ薩長・早乙女氏に通じているように思い、『敗者から見た明治維新』を再読した。

 この3冊で、気分を幕末維新へとシフトさせた。