宇宙人をデザインした岡本太郎のオチャメな才2011年05月09日

国立近代美術館の入り口で
 5月8日、東京国立近代美術館の「生誕100年 岡本太郎展」に行った。3月からやっていて本日が最終日。連休最後の日で好天だったせいか、入場券購入30分待ちの盛況だった。若い観客が多い。やや意外な感じがした。

 いつも渋谷駅で岡本太郎の大壁画の前を往復し、あの造形を堪能している。だから、特に彼の作品を観たいという衝動に駆られたわけではない。が、何となく気になっていて、最終日になって出向いたのだ。

 私たちの世代にとって岡本太郎は、単なる芸術家というよりは、「芸術家」という役割を演じているマルチ・タレントのような存在だった。

 私が岡本太郎をはじめて知ったのは、小学生の時だった。NHKのテレビ番組『私だけが知っている』に出演していた。半世紀前のことだ。あれは面白い番組だった。前半のドラマで事件(たいていは殺人事件)が発生する。その後、スタジオの探偵局で探偵たちが犯人探しの推理を展開する。探偵局長は徳川夢声で、有吉佐和子、江川宇礼雄、池田弥三郎がレギュラーの探偵だった。岡本太郎は準レギュラーの探偵だった。探偵たちが推理をした後、解決編のドラマが放映される。

 私の記憶では、岡本太郎は優秀な探偵ではなかった。いつも、トンチンカンな推理で他のメンバーを混乱させていたように思う。だから、小学生の私にとっての岡本太郎の印象はあまりよくない。しかも、「芸術家」にシャーロック・ホームズのような明晰な頭脳を求めるのは無理だと感じ、「芸術家」への偏見までもつようになってしまった。

 岡本太郎の作品を知ったのはかなり後になってからだ。あの特徴的な造形に接しても「なんだ、これは」とは感じなかったように思う。『私だけが知っている』によって刷りこまれた岡本太郎探偵の印象が鑑賞の妨げになったのかもしれない。

 小学生の頃、『宇宙人東京にあらわる』という映画を観た。記憶に残る怪作SF映画で、珍妙なヒトデ型の宇宙人が印象的だった。後年、あの宇宙人は岡本太郎のデザインだと知ってナルホドと思った。岡本太郎は「芸術家」というにはオチャメ心の強い人だったように思える。

 岡本太郎は絵画や彫刻などの芸術作品だけでなく、文章や座談も多く残している。むしろ、そちらの方が面白いかもしれない。ユーモアのセンスも秘めたアジテーターだったからだ。

 終戦直後、岡本太郎は花田清輝らと「夜の会」というアヴァンギャルド芸術運動をしていた。今回の展覧会でも、当時の彼らが編集した『新しい芸術の探究』という珍しい本が展示されていた(夜の会編、1949年5月、月曜書房刊行)。

 この本とその執筆メンバーを眺めていて、岡本太郎が披露したという傑作ダジャレを思い出した。夜の会の酒席で、岡本太郎が同席のメンバーに次のような仇名をつけたそうだ(出典:岡本太郎「アヴァンギャルド黎明期」ユリイカ1976年3月号)。

 花田清輝  ハナハダ・キドッテル
 埴谷雄高  ナニヲ・イウタカ
 椎名麟三  スルナ・ビンボー
 野間宏   ノロマ・ヒドシ
 安部公房  アベコベ

 このダジャレは、その内容がそれぞれの人物像の表現になっているところが秀逸だ。残念なことに、岡本太郎は自分自身にはダジャレ仇名をつけていない。
 ならば、私が「オカモト・タロウ」に面白いダジャレ仇名をつけられないだろうかと、いろいろ考えてみた。しかし、思いつかない。そんなことから、あらためて岡本太郎の才を感じてしまった。

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