センス・オブ・ワンダーを堪能できる橋元淳一郎氏の時間論2010年11月03日

『時間はなぜ取り戻せないのか』(PHPサイエンス・ワールド新書)、『時空と生命』(技術評論社)
 橋元淳一郎氏の次の本を読んだ。

 『時間はなぜ取り戻せないのか』(PHPサイエンス・ワールド新書/2010年1月11日発行)
 『時空と生命:物理学思考で読み解く主体と世界』(技術評論社/2009年12月1日発行)

 2冊とも時間論の本だ。橋元氏の『時間はどこで生まれるか』を読んで大いに刺激を受けたのは、すでに3年前だ(読後のメモをブログに書いた)。
 新たな二つの著作はほぼ同時期の刊行で、内容に重複がある。重複があるおかげで2冊続けて読むと理解が多少深まる。前著と合わせて3冊で橋元氏の時間論の全体像が見えるような気がする(すべて理解できたわけではないが)。

 「時間とは何か」は蜃気楼を追うような不思議で興味深いテーマだ。物理学と哲学にまたがるテーマであると同時に、他のいろいろな分野でも「時間とは何か」の考察が必要になることが多い。
 と言っても、やはり相対性理論や量子力学など物理学で提示される時間の概念が何とも不可思議で興味深い。

 橋元氏の時間論は物理学がベースである。相対性理論、量子力学、熱力学などによって時間とは何かを探り、それが何と生命の探究につながっていく。このダイナミックな論理展開が非常にスリリングで面白い。
 橋元氏は前著『時間はどこで生まれるか』において、物理学における時間の非実在性を解説したうえで、時間の発生する場所を生命現象に求めた。
 新たな二つの本は、物理学が示すミンコフスキー時空に基づく時間を探究し、それををふまえて時間が生まれる起源となる生命の主体的意思についてより深く考察している。生命が時間を作りだしていると聞けば奇異な感じがするが、現在の物理学の知見で時間を突き詰めていくと、そう考えるしかないように思えてくる。
 橋元氏の時間論は、もちろん仮説の提示である。しかし、かなり説得力のある仮説だと思う。

 橋元氏は物理学者であると同時にSF作家である。小説家としては寡作だが『神の仕掛けた玩具』(講談社/2006年)という短編集がある。
 『時間はなぜ取り戻せないのか』のまえがきで著者は「SF者の荒唐無稽な時間論に少しでもセンス・オブ・ワンダーを感じていただければ、望外の喜びである」と述べている。
 橋元氏のSF小説は、気宇壮大なサイエンスを材料にしたものが多い。その材料と調理が一般読者にとってはわかりにくい面もあり、作者が楽しんでいるセンス・オブ・ワンダーが読者に伝わっているとは言い難い小説も多い、と私は感じていた。
 しかし、橋元氏の時間論三部作には、より直截に読者を引きこんで行くセンス・オブ・ワンダーが確かにある。SF小説以上に刺激的だ。

 橋元氏の時間論が荒唐無稽と言えるか否かは、私にはわからない。『日経サイエンス』2010年9月号に「時間は実在するか?」(C.カレンダー)という記事が載っていた。著者は物理学をフォローしている哲学者だ。この記事は次のようなパラグラフで締めくくられている。

 [時間は存在する、かもしれない。ただし、この世界を無数の部分に分割し、何がそれらを結びつけているかを外から見る時に限ってだ。こうした見方に立つならば、物理的な時間というのは「私たちはほかのすべてから切り離されている」と私たち自身が考えているために生じるものなのだ。]

 こんな文章を読むと、橋元氏の時間論に通じるものが感じられる。この人の橋元時間論への評価を聞いてみたい気がする。

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