マネの絵は百年を経ても現代的だ2010年05月12日

 東京・丸の内にオープンした三菱一号館美術館の開館記念展「マネとモダン・パリ」を見た。マネは好きな画家だが、本物を見る機会がなかった。東京でマネの傑作群を堪能でき、満足した。

 私はマネの絵に現代性を感じる。美術史の巨匠の絵というよりは、同時代の画家の作品のように思える。マネは近代絵画の第一走者のような存在なのだろうが、後続の印象派や後期印象派の画家たち以上に現代的である。

 マネが生まれたのは1832年、日本で言えば幕末・明治を生きた人だ。今回の展覧会の勧進元の三菱の創始者・岩崎弥太郎(1835年生まれ)より3歳年上、坂本竜馬(1836年生まれ)や近藤勇(1834年生まれ)より年長だ。

 そんな幕末・明治の画家に現代性を感じるのは不思議ではある。私がマネの絵を現代的だと感じるのは、そこに現代に通じる文学性があるからだ。小説の挿絵のようだと言ってしまえば身も蓋もないが、マネの絵には画家の押しつけがましい自己主張が抑えられている分だけ、描かれた人物たちの背後の物語が表現されている。
 マネが描くのは、風景でも静物でも歴史でもなく、同時代の人物である。マネの関心事は人間だったはずだ。人間への興味こそは文学の源泉である。

 マネの絵画を眺めていると、マネの生きた百年以上昔の時代と現代で、人間への興味の抱き方はそんなには変化していないのだと感じてしまう。
 しかし、この百年で世の中はずいぶん変わり、時代の課題も人々の感覚も大きく変わってきたはずだ。美術も文学も常に新しさを追求して変貌しているはずだ。只今現在も、今までになかった新しい美術や文学を生み出そうと苦闘している創作者は多いだろう。

 マネ自身、本人の意思がどうであったかにかかわらず、絵画の新しさを追求し、それを成し得た典型的な巨匠の一人だ。そんな巨匠の作品だから、1世紀経っても新しさを感じてしまう。

 新しさの追求とは何だろうか、それは普遍性ということとどう関わってくるのだろうか。そんなややこしいことを、マネの絵を眺めながら考えた。

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