40年前の『ルネサンス』(会田雄次)を読んだ2010年04月28日

『世界の歴史12 ルネサンス』(会田雄次)
 塩野七生氏の『ルネサンスとは何であったか』を読んだ余波で、40年以上前に出版されたルネサンス本も読んでみた。

 『ルネサンスとは何であったか』巻末の著者と三浦雅士氏との対談で、塩野七生氏は次のように語っている。
 「デビューした時には、田中美知太郎、林健太郎、会田雄次など、いわゆる大先生に認められまして、その先生方がいらっしゃる間は大丈夫だったんです。でも、その下の助教授あたりの学者が学会の主流になってきたあとは、大変でした。」

 この発言で会田雄次という懐かしい名前に出会い、そういえば河出書房の『世界の歴史』のルネサンスの巻は会田雄次が書いていたはずだ、と思い出したのだ。全24巻の『世界の歴史』はかなり昔に古本屋で格安で購入したが、ほとんどの巻はパラパラと拾い読みしているだけだ。未読だった『世界の歴史12 ルネサンス』を引っ張り出してきて読んだ。
 会田雄次氏は1997年に81歳で亡くなっているが、かつては雑誌等で名前を見る機会が多かった。自身のビルマでの捕虜体験を綴った『アーロン収容所』は印象深い本だ。

 『世界の歴史12 ルネサンス』は、前半がルネサンスの話で後半は宗教改革の話だ。「ルネサンスと宗教改革」というタイトルにした方が適切なようにも思えるが、会田雄次氏(当時は京大教授)が執筆したのは前半で、後半の宗教改革の部分の執筆者は助教授だった中村賢二郎氏だそうだ。

 やはり前半と後半で趣が多少異なる。後半はまともな歴史解説だが、会田氏執筆の前半は歴史解説の随所に当時(1960年代後半)の日本の様相への批判などが反映されていて、脱線おもしろ講義風だ。会田節が発揮された華のある文章だと思う。

 書き出しからしてユニークである。まず、いきなり当時の植物図鑑の挿絵の比較が出てくる。13世紀末の植物図鑑と14世紀の植物図鑑の挿絵の比較である。前者の絵が妖怪的で迷信的なのに対して後者はリアルで科学的だ。1世紀を経ないわずかな期間に起った人間の精神の変化、それがルネサンスだというわけだ。わかりやすい見事な導入部である。
 ルネサンスと言えば絵画や彫刻への言及が避けられないが、本書における会田氏の絵画・彫刻に関する記述は、著者の鑑識眼が反映されていて面白い。
 で、『アーロン収容所』の挿絵を思い出した。捕虜時代に著者自身が描いたスケッチが挿絵になっているのだが、素人とは思えない見事なスケッチに驚いたものだ。本書も随所で著者の絵心を感じさせられる。

 もちろん、美術以外の分野の解説も面白い。「わたしはエラスムスやトマス・モアはどうもそれほどえらいとは思えない。本当の人文主義者として群を抜きひとり聳えるのは、一六世紀のフランス人モンテーニュである。」という断定なども、一般向き解説書には珍しい踏み込み方だ。これに続いて、著者は次のように主張している。
 「人間が精神の自由を回復する道は、実は本能のままに行動することではない。(中略)既成概念を疑ってみることだ。とりわけいろいろの教育によって自分のものとなってしまい、なまはんかな反省では気がつかなくなっている自分の先入観までを疑いつくしてみることである。」

 このような文章を読みながら、スタイルが塩野七生氏に似ているなあという気がしてきた。そして、「あとがき」を読んだとき、その感をさらに強くした。
 会田雄次氏は、日本の西洋史研究への根本的な疑惑を表明し、次のように述べている。
 「ヨーロッパ人の、西洋史観は、いわば自叙伝だ。立脚点が根本的にちがうわたしたちが西洋史をみる場合、かれの反省を鵜呑みにし、わかったような気になっているのは何という錯覚であろう。」「(本書は)あくまで日本人として外から眺めるという立場をとった。」
 塩野七生氏がキリスト教を外から眺めて『ローマ人の物語』を書いているのと通じるところがあるように思える。

 ちょっと驚いたことに、この40年以上前の全集本の『月報』には塩野七生氏の文章が掲載されている。肩書は「作家」ではなく「ルネサンス研究家」となっている。彼女の処女作『ルネサンスの女たち』の出版前で、一般的にはまだ無名だったはずだ(雑誌連載中だったのだろう)。
 この古い『月報』を見て、前述の三浦雅士氏との対談で語られたエピソードを思い出し、ニヤリとしてしまった。その後、有名人になった塩野七生氏は「マキアヴェリ全集」の月報執筆を出版社から依頼されたが、訳者の学者たちからの反発でキャンセルになったそうだ。